被災者支援サークルあくしゅ@福岡教育大学

東日本大震災を機に、被災者支援のために福岡教育大学内に
立ち上げた「被災者支援サークルあくしゅ」のブログ。
これまでの活動報告や支援物資の募集などを更新します。
少しずつでよいので、まずはご協力どうぞよろしくお願いします。
<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
# スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | | category: - |
# 「あくしゅ」のこれから・・・
あくしゅ1周年を終え、これから2年目の活動に入るわけですが、これからのことをいろいろと考えてみました。

さて、これからどうしていくか。道はなかなか険しいかもしれませ​ん。その理由に二つあります。
 
◆ 一つ目は「あくしゅ自身の体制」のこと。
 
メンバーが増えなければ活動が萎縮してしまいます。少ない人でも​できますが、それぞれがさまざまな事情で忙しく、あくしゅだけに​コミットして活動していける方がいないと進みに行くということも​事実。そして、何度か書いているように、4年生と院2年生が中心​なので、次につなげるためのメンバーが必要、ということもありま​す。何十人もいなくてもいいでしょうが、常にある程度のメンバー​がいてくれると支援活動の質が向上するでしょうね。
 
◆ 二つ目は「活動内容」のこと。
 
ふんばろう東日本支援プロジェクトのHPを見るとわかりますが、​ふんばろう自体も物資支援から次第に自立への支援、または、さま​ざまな支援ができるように募金・基金の方へとシフトしています。​これまであった必要リストはそれぞれの支部等の情報に移行するこ​とになり、以前のようなさまざまな情報が検索できるようなリスト​はなくなりました。しかも、実質的には支部からの情報というのも​まだ物資としてはリストがほとんど載っていません。
 
このことは僕たちがこれまでやってきた活動の仕方への変更を余儀​なくさせます。まさに、「これから僕らはどんな支援活動をしてい​くか」について一から考え直さなければいけなくなったということ​です。
 
募金をし続けることはできますし、いろいろなサークルとコラボし​て募金に協力していただいたり、バザーでfund raisingすることはできます。ただ、協力する側も反応が鈍​くなってくることが予想されますし(一度、二度と協力すると、協​力したという既成事実ができてしまい、それに安住してしまうこと​が考えられるため)、僕らとしても十分にメンバーを引き付けてお​くだけの魅力がなくなり、マンネリ化してしまうかもれないからで​す。
 
こういう想定はとっても被災者の方々に失礼にあたるかもしれない​けど、この地で支援活動を実質的に続けるためには、やはりそこに​何か続けるだけの「魅力」のようなものが必要なんじゃないか、と​思います。

その魅力は「楽しそう」ということから、もっと高度なものまであります。僕らとしては少しハードルをさげて、できるだけ多くの人に参加してもらえるようしてきました。しかし、そこで終わるのではなく、その魅力がボランティア精神なり他者への共感​なり、人間としてより本質的なものに近づければ、僕らの活動はや​ってる僕らとしてもホンモノになっていくし、協力者の方々にもい​ろいろと考えてもらえる教育的効果も期待できると思います。そういう活動って何だ?どうすればいいんだ?


 
ということで、あくしゅのみんな、何しろみんなでこれからのことを考えていこう。集​まれるようだったら一度集まりましょう。そうでなかったとしたら​、ここでどんな些細なことでもいいので、アイデアを寄せ合おう。​また、ほかの大学の活動を参考にしながら、情報交換もしていこう​。教育大学としてどんな教育支援が可能かについてもみんなで考え​ていこう。
 
これまでの1年が「最初だけの気まぐれだった」とならないよう、​僕らの気持ちが本物なんだと示せるよう、ただ被災者の方々に少し​でも力になれるよう、みんなの思いを一つにして、今一度初心に戻​って、がんばっていこう。
 
Let’s take akushuon!
| comments(0) | trackbacks(0) | 16:56 | category: 投稿 |
# 平成24年度のはじまりです!
4月に入り、新年度が始まりました。一番最初に「ふんばろう」の説明会を全学で行ったのが4月19日ですので、あくしゅももうすぐ1周年となります。

僕らの活動がどれだけのことができたかと考えたとき、被害の大きさを前に思うのは「不十分さ」です。被災地の方々が日々の生活を一生懸命生きていらっしゃる中、僕らはこれまでとほぼ同じような日常生活を送っている。この圧倒的な差異を僕らはもっとリアルに受け止めて行かなければなりません。あくしゅではそういう方々がもっと増えて行くように、できるだけ多くの方々を巻き込んでいきたいと思います。これからも息長くがんばっていきましょう。

さて、大槌かもめが宗像の地まで渡ってきました。第1回と同じ156羽。これから注文者の方々のもとへと羽ばたいていきます。

6日は新入生へのサークル紹介。僕らにとっては初めての1年生のリクルート。やる気ある方々が入ってきてくれたらうれしいな。

4月16日はフィリピンの学生さんの団体が本学を訪問され、そこであくしゅの活動を紹介し、意見交換をしていきます。そのための準備も必要です。

昼休みの物資集めもやって、学内におけるプレゼンスも前面に出していきたいところです。

Let's take AKUSHUon!をキーワードに、これからもどうぞよろしくお願いします。
| comments(0) | trackbacks(0) | 00:45 | category: 投稿 |
# 続けて行くこと
先週は6日間のオーストラリア出張、昨日今日は京都への出張でした。さすがに疲れました。

その間、震災から一週間の3月11日を迎えました。みなさん、それぞれの思いを胸に過ごされたことと思います。

被災地はテレビに映っていても映っていなくても被災地としてあり続けています。みんなが忘れず、できることをどんどんとやり続けることが大事です。

あくしゅもあと1カ月ちょっとで1周年になります。これからも皆でがんばろう。ここに静かなる誓いとして書き残しておきたいと思います。
| comments(0) | trackbacks(0) | 22:11 | category: 投稿 |
# おススメ本・西條剛央著『人を助けるすんごい仕組み』

今僕は、第41回日本コミュニケーション学会年次大会で西條さんが行った基調講演とシンポジウムでの発言を一つの論文にまとめるという、慣れない編集作業をしています。


話し言葉と書き言葉では単に口調が違うだけでなく、話の流れやまとめ方が大きく違います。話の全体像を組み、ちらばっている関連情報をまとめ、一つの大きなまとまりに再構成する作業は困難を極めてます。でも、ふんばろうが立ち上がるプロセスをリアルタイムで(九州からではありますが)見てきた僕としては、「僕が」やらなければならない作業だと思って格闘しています。


さて、そんな中、編集作業と並行しながら読みました。西條剛央(2012)『人を助けるすんごい仕組み―ボランティア体験のない僕が、日本最大級の支援組織をどう作ったのか―』、ダイヤモンド社



これは絶対にお薦めです!ここには「すごい」がいっぱい詰まっています。


僕が思うに、この仕組み本は、


(1)個人レベルで個々人を啓発し、啓発された個々人を活動へと駆り立てる


とともに


(2)より社会レベルでの支援活動を展開するために、そうした個々人をつなげるための工夫を提供してくれる


という意味で、大変意義深い本です。


どういうことか、詳しく見てみましょう。


(1)「自分にもできる!」〜I wishからI willへ〜


この本の一番の意義は「自分でもできる!」という気持ちにさせてくれること。


心のどこかで何かできたら、と思っている人は以外と多いんです。ただ、HOWという段階で、みんな日々の生活に埋もれ、支援への気持ちを前面に出して一歩を踏み出すところまでしないんですね。


でも、ふんばろうの仕組みと活躍を知り、その支援がどのような方々に届き、どのような効果を生んでいるのかについて知ることにより、誰でもやろうと思えば支援できるんだということを再認識させてくれます


支援がI wishからI willに変わっていくんですね。


僕みたいに西條さん個人をフォローしていなくても、この約1年分のふんばろうの展開がぎゅっと凝縮されて詰められた本書を通じて、できるだけ多くの人に覚醒してほしいと願っています。


(2)「人と人をつなげる」ことの本質論と実践


僕らのサークル名を「ふんばろう@FUE(略称)」から「あくしゅ」と変えたのは、ふんばろうの支部ではなく、ふんばろうは主たる方法として利用するとして、幅広く独自に支援を展開していくという気持ちを込めたからです。


名前を決めるにあたって僕らが鍵として挙げたのが「つながり」です。ふんばろうもそうですが、必然的・偶発的に関わらず、事が起こったのは人と人がつながったから。そもそも4月の説明会自体がつながりの軌跡でした。活動の中いろんな方々との繋がりもできました。そんな中廣橋さんのアイデアをいただき「あくしゅ」としました。自ら手を差し伸べることの大切さ、そして、そこに起こる「ぎゅっ」感を込めました。


「あくしゅ」や「ふんばろう」だけでなく、被災者支援のキーワード自体がまさに「つながり」なんです。


ただ昨年の漢字に選ばれた「絆」について思うことをこのブログにも書きましたが(3月末の論文はその分析をする予定;まだなーんにもしてないが)、「つながり」を考えるにあたり、「『つながった』状態からその繋がりを確認するのか」、それとも、「『断絶した状態』からどう繋がりを作るのか」という二極の問題設定があります。「がんばろう日本」とか「絆」の原義とかは前者なんですね。でも気をつけないと、そうした繋がりは実態を持たないフィクションにすぎないかもしれない。つまり、既に断絶してるのではないか、と。


今、有効な問いは、むしろ、断絶をもとにしてそこにどのように橋をかけて行くかというものではないか。これまでの日常とほぼ何も変わっていない九州の現実意識と被災地の現実意識には雲泥の差があるはず。これを「つながり」とは言えません。逆に、このギャップを跳び越えてつながっていかなくちゃいけない。


あくしゅの活動を展開するときも、「つながろう」とか「つながりたい」という思いを、人々の中から自発的に起こしてもらわないといけないんです。水を飲みたくない馬に水を飲ませられないように、国を愛さない人に強制的に愛国を迫っても駄目。「愛」は強制すべきものではありません。それは無償であり、求めるものではなく与えるものなのです。だから、「何かできそう」の輪を広げて行くことが大切なんですね。


このように西條さんの本のもう一つの鍵は、断絶から出発した「つながり」方なんです。


日々の日常では人々は個という意識を持って動きます。それぞれの関心は異なる。そういう個がイワシの大群のように集まって、動き回る一つの群れになって動いていく。そういうふうに、つながりを新たに作っていくための具合案がふんばろうの取り組みであり、その帰結としてふんばろうは日本最大級の支援グループへと躍進したんです。


西條さんは確かそれを「縦のつながり」と「横のつながり」といった感じの表現でされていたと思います(取り違えていたらすみません!)。


横のつながりとは空間的なものです。同じ大学にいる人たちが支援という共通目的で繋がっていくとき、また、被害がなかった九州と被災地となった東北が助け合う思いで繋がっていくとき、人の思い、モノ、金は水平移動していきます。縦のつながりは時間的なもの。物事が変化していくときには、常に時間というファクターをいてなければなりません。言葉だって100年すれば変わります。100年前には「このラーメン、やべぇ」と言えば、まずかったりお腹壊すんじゃないというものだったはず。時間というファクターを入れていくことで、人々のつながりは強度を増します。


この縦と横のつながりは、布地における縦糸と横糸の関係のように、ぎゅっと縫い込まれて一枚の布になっていく。あらゆる組織も社会も個人も、本当はこういう関係の糸で編まれたものなんです。関係ってそもそも作っていくものでなんです。ふんばろうという組織はうまくtwitterやfacebook、HPを利用していき、こういった繋がりを可能にしました。そういう意味でこれからの、新しいタイプの組織です。


仕組み本を読むことで、単に個人として「やるぞ!」と思うだけでなく、いかにそのやる気をつながりとして外に広げていくかのヒントが得られると思います。


僕のように大学という組織にいれば、一人でできないことがいっぱいできるポテンシャルがあります。あとは誰かが、そしてそれは「あなた」でありうるのですが、タクトを振れば、「何かしたかった」という方々が力になってくれます。それは「あなた」自身と協力してくれることの固有なつながりが基盤となり、それが外へと展開してくのです。僕らもあくしゅも、これからさらに「とんでもない」支援活動を可能にするために、いろんな工夫を取り入れて行きたいと思います。


〜〜〜


「仕組み」本、お買い求めいただき、読んでみてください。的確な情報を把握し、そこでの目的を見出し、方法論を考えて行くという原理的プロセスに沿って、プラグマティックに理論と実践を横断しながら、拡大してきたふんばろう。あくしゅとしても学ぶことが多かったです。読んで何かできると思ったら、一緒に活動していきましょう!なんてったって「すんごい仕組み」なんですから。


なお、この本の印税すべてと売り上げの一部はふんばろう東日本支援プロジェクトの活動を中心として、支援活動のために利用されます。皆さんのお買い上げそのものが支援の一環となります。ぜひともご協力を。

| comments(0) | trackbacks(0) | 14:02 | category: 投稿 |
# 「ふんばろう」と「あくしゅ」

「福岡教育大学被災者支援サークルあくしゅ」の前身は「ふんばろう東日本支援プロジェクト@福教大」です。


今も僕らの支援活動でいつも利用している「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の代表である西條剛央さんがこの度『人を助けるすんごい仕組み―ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか―』(ダイヤモンド社)を出版されました。



それを機に、ちょっとこの10カ月のあくしゅを「ふんばろう」との繋がりから振り返ってみたいと思います。


■偶然的な西條さんとの出会い


僕が所属している日本コミュニケーション学会で、僕は学術局ジャーナル担当副学術局長という役を担っています(名前はなんか「おぉ」ですが、実際は足を引っ張るばかりで貢献も何も出来ていないという状況です・・・)。いつだったか、2010年の終わりぐらいだったかと思うんだけど、次の年次大会の基調講演者が西條さんに決まったんです。学術局は年次大会を推し進める部署でもあるので、そこの局員である僕は西條さんのお仕事をフォローしはじめました。


そこに2011年3月11日に東日本大震災が起こります。


こういう経緯があり、僕は西條さんがそのころブログで熱心に発していた書き物などを読み、次第にふんばろうが立ち上がっていく様を、九州からではありましたが、リアルタイムで見てきました。


2011年6月開催だった年次大会のテーマは「コミュニケーション学と人間科学」。学問的にも、僕のコミュ学と非常に似たところで仕事をしていらっしゃる方であるということを知っていましたので、言葉の端々に見て取れる思想の根っこが僕にはよく理解できました。そして、これこそ「人間科学」の理論と実践が両輪となった活動だ、と僕自身感じ取ったわけです。


■物資の宝庫の大学で動く!


そのころの僕はというと、何かしたいけど何ができるかピンとこず、どこかもやもやを抱えた気持ちで日々を過ごしていました。しかし、西條さんの動きの中で、ツイッターでモノがどんどん直接被災地に届けられ、HPが立ち上がることで情報が管理され始めると、クリック音とともに、僕の中で「これは使える!」という感覚が出てきました。


もちろん一人でもリストを見ながらモノは送れるわけですが、大学という一つの組織の中に300人ほどの教職員がいて、数千人の学生がいるわけですから、大学って実は「物資の宝庫」じゃないか、って思ったんです。誰かがタクトを振れば、モノが流れるんじゃないかって。


そこで、学内でふんばろう東日本支援プロジェクトを使って一緒に学内で活動をしてくれる学生がいないかと思い、説明会を開催したのが4月19日。あくしゅブログもこの日から始まっています。そこにも書いているように僕は可能であればボランティアグループを立ち上げられればと思っていました。西條さんが新たにふんばろうの組織を作っていく姿に看過され、僕は本学の中に小さいながらも拠点となる組織を作りたいと思ったわけです。


僕はそれまで教授会で発言することも「怖い」と思うほど、大学の中で大々的な活動なんてやるようなタイプの人間ではありませんでした。そんな僕がなぜ一歩を踏み出すことになったのか。


一つには、西條さんのリミッターをはずす音が僕に届いたから。僕にとっての西條さんとの繋がりは偶然的なものではあったのですが、僕は明らかに感染されました。学問的背景と「これならやれる!」という感覚が背中を押してくれたと思います。


もう一つ、年齢的なものもあるでしょう。僕はそのころもうすぐ孔子曰く惑わない年齢になる時期でしたが、そんな僕の心の中に「なに惑ってんの?被災地の方々の思いを考えれば、こんなのどうってことないじゃん!」っていう開き直りが生まれたんです。惑ってらんないぞ、って。


■押し付けず、人と人をつなげていく


始めたのは朝のビラ配りでした。まさか学生のとき学祭でESSのビラを配ってから20年後、同じ学内で、しかも教員という立場でビラ配りをすることになるとは思いもしませんでした(笑)。心強かったのは、メールで知ってる学生らに協力を依頼したら、10名ほどだったかな、手伝ってくれたんです。人って固有名で簡単に繋がるんだぁって思いました。


ビラ配りしたことある人は分かるでしょうが、これってもらってくれないとちょっと傷つくんですよね(笑)。特に、被災者支援についてなので、スルーされたときには。


でもそのとき思ったんです。「これは単に使命感や正論を押しつけても動かない。ここでは自然にできる協力への工夫が必要だな」って。この気持ちは今の僕の考え方を支えています。西條さんが本の中も言ってるように、ボランティアなんだから、強制しちゃだめなんだよね。やってくれただけで「ありがたい」と思わなくちゃ


説明会は35名程の参加がありました。メールアドレスも快く提供してくれて、これで説明会メーリングリストができました。ここをまずは動きだすポイントとしてやっていくことにしました。


特に積極的に参加してくれたのが院生の足立さんと井上さん。彼女達は1年生のときに僕の英語を受講してくれていた方々で、発表会か何かのために期末試験が受講できず、後日もうお一人加えた3人が僕の研究室で試験を受講されたという4年前の経緯がありました。足立さんはその後も本を借りに来て、熱心に勉強してくれていたのですが、今回の説明会に関しては、僕のルーム生の北島さんがMixiへ宣伝をあげてくれる→同じサークルの井上さんがそれに気づく→足立さんに声をかけるという順番で繋がってくれました。もっとも院生とは勉強が仕事ですので、今後はもう少し学部生中心に運営していければ、と思っています。


4月末にドライヤーやアイロンを送付、連休明けから、昼休みに物資集めと募金集めをするようになりました(これまで送付した物資等のまとめはこちら)。何人もの人があふれるように協力してくれるわけではないですが、それでもこれは活動としてやっていける!と思えるぐらいの成果が得られました。


こういう活動をする中で、実際に動く部隊となってくれる方々の連絡用メーリングリストを作りました。そして、これをサークル化しようという声も出てきて、大学にも正式にサークル申請することになりました。名前は先にも出てきた「ふんばろう東日本支援プロジェクト@福教大」、略して「ふんばろう@FUE」です。


■「欠如感」こそ活動の動機


6月の年次大会を前に、僕は西條さん、そして西條さんの近くで支援活動に熱心に取り組んでらした平島さんとツイッターやメールで繋がり、西條さんとは学会のこと以上に支援活動のことについてのやりとりをし始めることになりました。そのころ西條さんはふんばろうを全国展開すべく、支部を作るための活動を熱心にされていました。年次大会が福岡であるということで、来福を機に九州支部の立ち上げを構想されていました。


実は、西條さんと平島さんは九州支部の立ち上げに際し、僕に白羽の矢を立ててくれました。僕自身は日々の業務と学内での支援活動だけで手がいっぱいで、正直無理だと思いました。しかし、確かに西條さんのリミッターが外れる音が聞こえた僕にとって、「無理だ」とは後でも言える、取り敢えずお受けすべきだと考えました。


しかし、色々と自分なりに準備を進める中、今の自分の置かれた立場や環境ではやはり無理だと判断しました。「ボランティアとは何か」、「他の人にできて僕にできないこと、逆に、他人ができなくて僕ができることは何か」など考えながら、すべてを投げ捨てて被災者支援に打ちこむことを、結局僕は選択しなかった。


はっきりと「できません」という旨のダイレクトメールを送った時から、僕は常に「欠如感というものを抱いて支援活動をすることになりました。僕にできることは常に限られている。でも限られているからこそ、その中でできることはやろう、と。「支援できない」という消すことのない欠如感を「支援する」という償いによって埋めようと。うまらないということは分かっているし、大々的なことはできないけど、でも自分の与えられた環境でもやれることを息長くやっていこうと。


そのころ西條さんは予定されていたご講演を断り始めてらっしゃったことも気がかりでした。九州支部が立ち上がらないようだったら、九州に来る意味も薄れるわけで、ならばご講演をキャンセルされるのではないか、という思いがありました。学術局として来ていただけないと困る、でも、九州支部を引っ張っていくことはできないという板挟みの中、ひょっとして西條さんは「なら来ないよ」というブラッフをかけようされるのではないかと(西條さんはDMの返信の中、僕の立場を十分に理解していただき、そんなことされる方ではありません;笑)。


ただ、自分の与えられたところでやるべき活動を粛々とやっていく、ということは僕の中で引けない条件と決めていましたし、腹を決めて西條さんと平島さんにはその旨のDMを送ったわけです。だからそこは動かない。その裏で西條さんには来ていただきたい、という思いもあり、自分の中の信念対立をどう解決するかについて僕は考えました。


それが「九州支部発足のための説明会会場の提供と懇親会の設定はやる」ということでした。ありがたいことに西條さんは学会にいらしてくださり、ご講演・シンポジウムと長い時間、大会テーマにそった大変有意義なお話をしていただきました(わざわざこれまでの経緯の中、私の名前までも出していただきました)。内容としても、講演とシンポジウムでの西條さんの話を会場席で聞きながら、「西條さんでよかった!」という思いでいっぱいになりました。


無事に九州支部立ち上げのための会合は開かれました。FBにはサイトもあります。


ただし、『人を助けるすんごい仕組み』の支部の紹介の中には「九州支部」の名は含まれていません。恐らくふんばろう支部として「機能」していないのでしょう。


僕はそのことについて大きな負債を背負っている思いを持っています。決断は間違っていなかったとは思いますが、九州支部の不発は正直僕のせいだって強く思っています。


ただ、今の僕にはそれも「欠如感」に変えて、人に押し付けず、でも多くの賛同を得るような工夫をしながら、できるだけ多くの人を巻き込んで活動していこうと、それを前向きにとらえています(見方によっては自己弁護なのですが)。欠如や負債を抱きつつ、むしろそれをプラスのエネルギーに変え、特に組織にいるからこそできるような、大規模でも小規模でもない、ミドル・レンジな活動を長く取り組んでいきたいと思っています。


もうすぐ震災より1年がたつ。今後の復興の道のりを考えるとまだまだ長い。必要なのは「希望」です。希望があるから人は動く。支援する側だって希望があると信じることができるから、そのともしびが消えないようアクションを起こすと思うことができる。力みすぎず、でも息長くこれからも支援活動を進めて行きたいと思います。みんな、どうぞよろしく。

| comments(0) | trackbacks(0) | 01:21 | category: 投稿 |
# リトル・ヒーロー
本日(すでに日付は変わったが)、西條剛央著『人を助けるすんごい仕組み―ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか―』が届いた。すぐにでも読みたい気持ちを抑え、明日(すでに今日)締め切りとなっている成績登録の作業をやっている。間に合うか。しかし、もうこれ以上仕事をおくらせることはできない。ここはぐっとこらえて粛々と業務をこなすのみ。(といいつつ、寝る前4AM〜しばらく読んでしまった・・・)。

ツイッターでTLをのぞいていると、支援ボランティアをめぐるいろんな考えが飛び交っている。一生懸命やっている人が一生懸命やっている人を一生懸命やっているがゆえに批判する。それは生じた問題を目の当たりにしたからこそふつふつとわいてくる感情であり、褒め合ったり、慰め合うだけの生ぬるい支援活動に対し、敢えて打つ「愛の鞭」なのかもしれない。事実、被災者の方々が批判に賛同されるときには、そういう手厳しい批判が問題をついているということでもあるんだろう。

個人的には少しむなしくなってしまうんだけど、恐らく「むなしくなる」と言えるのは、それだけ十分に僕(ら)がコミットしていないからだ、ということなのだろう。命かけて取り組んでいる方々は、ご本人を含め誰が何といおうと、やはり「偉い」と思うし、僕(ら)にはそういう方々が「敢えて」発する手厳しい声を全身で受け止めるしかないのだろう。

僕の中にすっきりしない何かが、のどに引っかかった小骨のごとく引っ掛かり、きりきりとした痛みを与えているのを感じるが、僕らは僕らなりにどうすべきか、自分の問題として受け取るところから始めないといけない。

頭は整理できていないが、のどの小骨が取れればいいなと思いつつ、赴くままに書いてみる。

ふんばろう東日本支援プロジェクトに対するクレームをこれまで何度も目にしたことがある。そのクレームに真実も含まれるのだろう。しかし、社会システムとは私たちが思うよりも、そんなに単純ではない。それは人が作り上げるものであり、システム自体も人の行為によって成立しているのであって、いったん作ったら後はメンテしておけばいいというものではない。根本的に社会システムは機械のシステムとは異なるのである。

しかもシステムをになう人々が変わらないつもりでも、環境が変わればその変化がシステムを支える行為の意味にも微妙な差異をもたらし、システムそのものが変化していくことがある。目を閉じて足踏みしているといつの間にか少しずつ動いているように、いくら同じことを粛々とやっていようとも、いつの間にかずれて行くのが社会システムなのである。

西條さんはふんばろうの代表だ。でもすべてを総括しきれるわけではない。それでいて全責任を負っている。責任とは単に生じるものではなく、引き受けるものだ。そして、西條さんは末端で何が起こっているかすべてを把握できなくとも、全責任を自らの手に引き受けて行動している。システムに完璧はない。だからこそ状況が変わればそれに合わせて変えて行くのがシステムである。何か問題が起これば変えて行く。構造上齟齬は出るものであり、それが改善しなければならないと分かる兆候となり、システムは常に遅れて現状に追いつこうとする。

この絶対的な時間的遅れの中で、多くの人たちが傷つき、時に失望することになる。この「現実」は否定できない。そして「壁」でなく「卵」の方に足場を置いたとき、システムの時間的遅れが批判の対象として立ち上がってしまうことがある。構造上避けられない時間的遅れと否定できない人々の痛み。この狭間でときに引き裂かれ、時に押しつぶされそうになる存在、それが上に立つ長だ。

一学者であった西條さんと学術学会で実際に出会う前に、僕は彼がアクションを起こし、みうらさんと出会い、システムを構築し、プロジェクトを広げていくその過程を遠くから見てきた(近くでなくても申し訳ないのだが)。彼は文字通りリミッターをはずしたのであり、どんな批判が出てもそのために支援をおくらせることはできないと考え、敢えて「ネタ」となる覚悟をし、前に出たのだ。多くの人たちが立ち往生しているときに、一歩出る勇気。簡単に見えるが難しい。西條さんは突き動かされるように前に出たのだ。覚悟を決めて。それは彼にとって必然でもあり、しかし、自ら成した選択でもあった。

僕のような生ぬるい活動しかできていない人間は、必死でやってきた方々が命かけてはなった言動にコメントするような立場にない。いろんな意見もあっていいと思う。中途半端な支援が逆に被災者の方々を傷つける、失望させる、状況を混乱させるという逆説があることも(頭では)分かっている。

それでいて、小さな人たちが持っている小さな種火を消してもいけないと僕は思う。

疾走する方々が残していく風は種火に酸素を送り込み、炎へと燃えあがらせることがあっても、それを吹き消すことになってはいけないと思う。マスは無能な群衆でもある。でも、多様性を抱えるマスはあらゆる運動の源であり、サイレントマジョリティや十分「必死」ではない僕らを無価値であるかのように一般化すつのは、叱咤激励になりえたとしても、その結果出てくるのは一部のエリートでしかない。必死こいている人が10人でてくることも必要だが、同時にそれ以外の1万人が少しずつでも動いていかなければ山は動かない。優れたエリートは山を動かし、優れた山は敏感にほんもののエリートの発するメッセージに反応する。

エリートを鼓舞することがあっても、マスを侮ることなかれ。

僕は一単科大学で支援のタクトを振っている一指揮者にすぎない。エリートでは決してないし、振っているタクトに魂は宿っていない。こたつPやストーブPに参加したり、物資を送っても、よそから見たら自己満足にしか見えないかもしれない。おまえは必死じゃないってお叱りを受けるかもしれない。

それでもやれることを粛々とやるしかないんだよ、僕は。みみっちいことだと思われたとしても、手を止めない努力をしなきゃいけないって思うんだよ。一人が1万のおにぎりを送ろうと、1万人がそれぞれ一個のおにぎりを送ろうと、1万のおにぎりには変わりない。僕はその一人にはなれないけど、1万人分の1、もしくは1万分の他10人を集めようとする人にはなりたいと思っている。

派手じゃないけど、そういう努力って必要じゃないかな。

僕は不満を言ってるんじゃない。ただ自己弁護をしているだかなのかもしれない。ただ分かるのは、僕は夢見てるってこと。お互いを批判し合っても、それは相手をつぶすためのものではなく、やり方は異なっていても、同じ方向を向いて一人でも多くの人たちが汗を流して、やれることをやっている姿を。

僕は西條さんにはなれない。覚悟もないスモールスケールの人間だ。でも、僕の周りにいる人たちの意識を少しだけでも変えて、思いはあるけど行動する機会がなかったと思う人たちの心遣いを集め、それを被災地に届ける郵便屋さんのような存在にはなりたいと思っている。

村の郵便屋さんでいい。

淡い夢だと言われてもいい。

向いている方向は同じだと信じて、ただやれることをやるのみ。

この雑文をたまたま目にしてくださった方々のほとんどは、正義の味方じゃないんじゃないかな。僕には高いところから正論を振りかざす勇気も度胸もないけれど、マスの中からささやき続けたい。

「みんなも小さなヒーローにはなれるはずだよ」、って。
| comments(0) | trackbacks(0) | 03:40 | category: 投稿 |
# 2012年へつなぐ
月曜日にストーブプロジェクトへ1万円を振り込み、合計12万円すべての協力終了。15台のストーブで被災地のご家庭が少しでも暖かくなればと思います。いつどこにストーブが送られたかはわかったら後日更新します。

2011年は後2日で幕を下ろします。去年のこの時期、だれが2011年の悲劇を予想できたでしょうか。しかし、事が起こってしまった限り、私たちは進んでいくしかありません。

国家は「想像の共同体」です。つまり、今まで出会ったことがない人々が「同じ」共同体に住んでいるという想像を共有している、ということです。今回の災害は東と西に大きな意識の差を生みだしました。それによって国家が分断されるわけではありませんが、私たちの現実感覚はある意味二分化されてしまったのかもしれません。

西に属する九州ではこれまでと同じ時間が流れ、生活が営まれています。同じようにクリスマスを過ごし、同じにように正月を迎えようとしています。それ自体は罪ではありません。人は自分の現実を常に生きるものです。

しかし、そういう時間の中私たちはつい東の状況を忘却してしまいます。アクションを起こすことも大事ですが、まずをもって人々が記憶から被害の大きさが消えてしまうことは罪にも等しい。まずは記憶をシェアすることが基本です。

そのうえで2012年も出来るだけ多くのアクションを起こし、それを感染していかなくてはいけません。簡単なようで難しく、難しいようで簡単なこと。でもそうしていかなければ、いつまでたっても被災地の復興はありえません。

あくしゅの活動は甚大なる被害を前に微々たるものでしょう。でも、まずは記憶に残すために私たちは動き、物や金を動かし、人々の心を動かしていきたい。少なくとも、その媒介になりたいと思います。

名前を「あくしゅ」に変えたとき、私たちは人と人のつながりをつくるためにまずは自分たちから手を差し出さなければ始まらない、と考えました。そして握手するときの「ぎゅっ」感を名前に込めました。漢字一文字では収まらないけど、僕らにとって「絆」よりももっと大事なのは「握手」することです。絆は結びつきがあるときにそれが切れないことなのですが、僕らはその結びつきをまずはつくるために動かなければならないからです。

まずは冬休み明け初日である2012年1月5日、あくしゅの募金活動からキックオフです。僕らの活動、そして被災地の復興は皆さんの協力がなくては実現しません。2012年もひきつづきよろしくお願いいたします。
| comments(0) | trackbacks(0) | 03:11 | category: 投稿 |
# 今年の漢字は「絆」なのか・・・
師走に入り、早いものでほぼ2週間。今年も残り3週間弱となりました。先日、恒例となっている今年の漢字に「絆」が選ばれたというニュースがありましたが、それについて考えることがありFBに一言書きました。ここに再録しておきます。

今年の漢字は「絆」。賛否両論あると思う。

「あくしゅ」が人と人の繋がりを大切にするように「絆」はとても大切。でもその意が「断つことのできない人と人との結びつき」というものであるならば、そこにおいて「結びつき」は初めから「断」たれることなく存在していることになってしまう。

しかし、今僕らに必要なのは初めから「断」たれることなく存在している「結びつき」をあらためて確認することではない。むしろ、災害によって一度生じた「断絶」を前に繋がりを「紡いでいくこと」にある。

だから「がんばろう日本」じゃだめなんだ。それはあらかじめ「俺たち・私たちニッポン人」という繋がりを確認する事後的なことばでしかない、前者の意識から出ることばだから。

今はつなげるためのアクションが大事。それは握手するときがそうであるように、まずはこちらから手を差し出す行為であり、また、携帯電話番号を知っているだけでつながった気になるのではなく、実際に電話をかけるような行為である。

何か最後まで「がんばろう」って励ますことでつながっている「つもり」の自分を正当化するようなことばで締めくくられたな、という感想。「絆」も大切なんだが「絆」を作り出すための「X」の方を今年の漢字に選んで欲しかった。

用は志の問題であり、「絆」を掲げてすばらしい活動をしている方々には全く以上のような違和感は感じませんし、むしろリスペクトの方が大きいです。「絆」そのものというより、「構え」の方を問題に挙げたかったわけです。自戒を込めて。

年が変わる前にあくしゅももうひとがんばりしておきたいところだね。

追記 あるニュースでは、被災地で一文字を書いてもらっていたが、4人の方がそれぞれ選ばれていたのは「難」「嘘」「災」「夢」。東京では、3位「明」、2位「希」、1位「幸」だという。
| comments(0) | trackbacks(0) | 10:14 | category: 投稿 |
# 募金のコメント(さっちゃん)
きのうはこうきっちょ君のコメントを更新しましたが、今日はさっちゃんのコメントです!(「ちゃん」があるのでもう「さん」はいらないよね。アグネス・チャンとはちがうので

「募金活動に参加した皆さん、おつかれさまでした!
募金してくださった方々、ありがとうございました!

今回募金の呼びかけをしながら、たくさんやさしさに触れました。。

正直、もう震災から8ヶ月経った今、そんなに協力してくれる人数も少ないんじゃないかと思ってましたが、小さい子から学生、一般の方が足を止めて募金してくれて心温まりました。

だんだんと日常で被災地のことに触れる機会がなくなって、
人々の関心も薄れてはいるけど、きっかけを工夫して作っていくことで、福岡からもしっかり働きかけていけるなと感じたし、
もっとあかるくたくさんの人を巻き込んでみんなで活動していけるような場をつくっていきたいなあと、いろいろこれからのスタイルに対しての想いも膨らみました!

あくしゅにとっても加速できた学祭だったと思います!

PS 本当に、小学生くらいの子が自ら募金してくれる姿には感動でした。。自分が小学生のときに、募金なんてしたことたぶんなかったと思うし、おこづかいも限られてる中で、すごいなあと感じました。
しっかりと被災地へつなげていきたいですね^^

以上参加者の一員としての感想でした。。」

さっちゃんは最後の「感想」を「完走」と入力ミスするほどのランナーです(笑)。さすが、息の長い支援のことを考えてくれてます。
| comments(0) | trackbacks(0) | 01:18 | category: 投稿 |
# 募金のコメント(こうきっちょ君)
あくしゅメンバーのこうきっちょ君が募金活動参加についてのコメントをしてくれました。

「久々にいいAkushuonしたと自負しております。でも,今回募金に協力してくださった皆様の方が数倍すばらしいと思っています。

特に,お子様が募金箱に手を差し伸べてくれたときには本当に心が温まりました。

僕は被災者と繋がる前段階で,こうして多くの人の温かさに触れることができるだけでもこのサークルは意義深いんじゃないかなって思います。

あくしゅって,被災者と我々のつながりだけではなく,被災者と繋がりたい人同士のつながりでもあるのですね。」

そういう気持ちを大切にして、かつ、自己満足にならないよう、これからもがんばっていかなくちゃね。ありがとう。
| comments(0) | trackbacks(0) | 02:16 | category: 投稿 |
Profile
Comments
Mobile
qrcode
■ふんばろう東日本支援プロジェクト
Search this site
Sponsored Links