被災者支援サークルあくしゅ@福岡教育大学

東日本大震災を機に、被災者支援のために福岡教育大学内に
立ち上げた「被災者支援サークルあくしゅ」のブログ。
これまでの活動報告や支援物資の募集などを更新します。
少しずつでよいので、まずはご協力どうぞよろしくお願いします。
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# 第一回飲み会やりました(更新1/3:2011年8月12日)
昨日は僕らのサークルを立ち上げて、初めての飲みをやりました。チームとしてやっている限り、横のつながりは不可欠です。これまでどうしても僕と個々との関係という縦の糸が強く、なかなか横糸がつながらない状況が続いていました。来てくれた方ありがとう。いらっしゃれなかった方も、またやりますので、ぜひともそのときには来てくださいね。

なんといったらいいんだろ、とても「いい会」だよね。和やかだし、楽しいし、でも、他のサークルとは違って僕らはミッションを持っているので強くもあるんだよね。でもそれは自己満足じゃなくて、やはり「何かしなければ」という思いに突き動かされている分、常に利他的にあろうとしてるわけで、そういうところが「いい会」であるゆえんなのかなと思います。

僕らは文字通り「声」をあげて学内で活動をしています。そうすることで、大学というコミュニティの中にいる一人でも多くに被災地の声を届けているわけです。

声をあげるってものすごく勇気がいることで、誰でもできることじゃない。僕だって人前で話す仕事をしていても、ああいう場所で声をあげるのは、しかも目の前に通る学生諸君にお願いをするために声をあげるのは、意識的に心の壁を下げないとできないことです。それは西條さん(@ふんばろう)の「リミッターを外す」ということばが心に残っているからこそ、「あえて」やっている振る舞いです。

恐らくみんなも同じ。ちょっとした勇気をみんなで振り絞ってるんです。何のために?

そこが先に述べた「何かしなければ」という自分に課したミッションのためにです。東北の人たちのためにです。特に九州のような距離があるところでは、そのくらいのことしかできない。でもそのくらいの中にある「声を出してみる」なんて大変な生活を送られている方々の苦労を思えば、蟻んこほどの小さな自尊心でしかないのです。

僕はこの活動を呼びかけたとき、8割は使命感でした。それと同時に、残りの2割は言ってみれば教育的効果のためです。不謹慎だと思われるかもしれませんが、そうではなくて、「何かしなければ」と思ってくれる人がもっと増えてくれることも、直接的に支援へと結びつくわけですから、これらの8割と2割は連動していて、10割すべてが支援に向かっています。

福岡教育大学は福岡市と北九州市という100万都市の間に位置する、とても田舎の場所にあります。城山のふもとに切り開かれたように建てられたキャンパスは、単科大学ということもあり、広大なキャンパスというわけではありませんし、自然に溶け込んでいる分、のんびりしたところでもあります。

大学はそういうゆったりしたところで、自由にのびのびと学問できるってことに、とても意味があるとは思います。でもね、それは大学の一面でしかなく、本当はもう一つの側面である、多様な声がもっと飛び交っている刺激的な場所でなくてはならないのです。

キャンパスを見回しても、みんなの顔はとても穏やかで平和的。そういう広い心で教師になっていくことも重要。でも、ひっくり返して言えば、誰も何かに真剣に向き合ったときの厳しい目をしていないんです。使命感を持っている目ではない。

目が死んでるんじゃないんです。いきいきしてるんです。でもとても穏やかで優しい。そういう目はおじいちゃん、おばあちゃんになってもできるんです。そういう目を持ちながらも、その奥でぎらぎらと輝き、めらめらと燃えている炎のようなものを、学生時代には持っていなければだめなんです。

大学では、僕はこれが必要だと思う、私はこういうことをみんなが考えないといけない、という互いのミッションに支えられた信念がもっと多方面で飛び交っていなければならない。「お前はそういうことも知らないのか!」って訳わからないまま怒鳴られるぐらいの経験をして、初めて「へぇ、そういう面も実はあって、僕には見えてなかったのね」という経験を重ねていける場、それが大学なんです。

世の中には考えるべきいっぱいの大切な問題があります。しかし、もちろんみんながすべての問題に関与して活動したり、考えたりすることはできません。最終的には、選ばないといけない。でも、何千人も人がいるこの場において、いろんな人がいろんな活動を選べば、一つの活動にある程度の人数は集まるんです。学内にそういう多様な活動が存在し、互いに声をあげ、互いの声を聞き、それでも自分の活動に来てもらえるようさらに声をあげていく。

そういう声々の重なりが大学のあちこちから本当は聞こえてこなければならないんです。看板でもいいし、ポスターでもいい。そういう知的刺激に囲まれながら、知らないうちに感化され、教室の外でも大人として、社会人としての成長を遂げるのです。

福岡教育大学はすばらしい大学だと思います。それぞれの教科に分かれ、教科の中でも専門が細分化されていることで多くの大学教員を抱えている本学のような教員養成系の単科大学は、文部科学省からすれば、金はかかる採算がとれない、非効率な組織ということになるのでしょう。でも、教育という観点からすれば、それは本来的にはいいことなんです。だって、いろんな人材がいるということは、いろんな教員からいろんな声を聞けることなのだから。

でも、同時に、刺激が少ないのも事実。社会や世界を知る窓口が学内にもっともっといっぱいあって、きっかけがいっぱいあって、どれにしようかな、と迷うぐらいに声が飛び交っていなければならないんです。音楽やダンス、スポーツも重要だし、どんどん打ち込んで欲しいけど、ひと汗かいた後に教室へ向かう途中、いろんな声が目から耳から飛び込んでくる、そういう環境の大学にしたい、いや、しなければならない、と思います。

長くなりましたが、僕がこの活動をみんなに呼びかけたときには、平和で牧歌的な僕らの大学にもっとそういう声が飛び交うきっかけにしたい、という思いがありました。教育者になるものは、理想と現実の両方をしっかりと見据えることが出来る人でないといけません。教師になりたい、こんな子どもを育成したい、こんな社会にしたい!という思いは大切ですが、現実から離れて夢見ていても何も具体化しません。夢は必ず現実感覚に支えられていないといけないんです。

僕らの大学の学生がそういう現実感覚を身につけたら、教員採用試験でも負けないと思いますよ。(笑)と書こうとも思いましたが、これ、まじです。よい教師になるための勉強は日々やっているわけですが、なかなか競合できていないということは、他の大学からの受験者が持っている強みや資質が僕らの大学の学生には欠けている、ということです。それさえ手に入れれば、多くのよい人材が教員になり、よい子どもたちを育て、よい社会になっていくのです。

僕ら支援サークルの活動の前期は終了です。夏も何かできればと思っていますし、後期はまた心あらたにがんばっていかねばなりません。ともにミッションを分かち合えるよき仲間を増やし、よき理解者を増やし、どんどん声を発していこう。僕らのミッションは僕らだけのミッションではない。みんなのミッションだ。

ほんとうに「いい会」だよ、僕らは。もっともっとみんなにわかってもらわなきゃね。
| comments(0) | trackbacks(0) | 13:28 | category: 会議あとがき等 |
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