被災者支援サークルあくしゅ@福岡教育大学

東日本大震災を機に、被災者支援のために福岡教育大学内に
立ち上げた「被災者支援サークルあくしゅ」のブログ。
これまでの活動報告や支援物資の募集などを更新します。
少しずつでよいので、まずはご協力どうぞよろしくお願いします。
<< June 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
# スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | | category: - |
<< ■仙台出張初日 | main | ■2015年度学祭!! >>
# ■仙台出張2日目:石巻を訪れる〜被災現場を歩く〜
出張二日目。時間が出来たので、仙台からさほど遠くない石巻まで足を延ばした。時間があれば、レンタカーで南三陸や気仙沼まで行きたい思いはあったが、滞在時間も限られており、バスで1時間ほどで行け、本数も多く出ている、石巻に行くことに決めた。

石巻の津波の映像はいくつか見たこともあったし、なんといっても多くの犠牲者を出した大川小学校の悲劇は語り継いでいかねばならない。今回の僕には石巻というところに縁があったんだろう。

バスは石巻駅に到着。初めて被災地と呼ばれるところに降り立った。僕の人生において意味ある一歩である。漫画家石ノ森章太郎のふるさとと言うことで、駅にはロボコンやサイボーグ009のキャラの絵などがあちらこちらに描かれている。僕ら世代にとってはたまらないお出迎えだ。

まずは被災地を一望しようと日和山公園へ。被災者の方々が命がけで登り、いくつかの津波の映像が撮影されたところでもある。印刷してきた地図を見ると、歩けない距離ではないが、その後に少し長い距離歩くために、まずはタクシーで向かった。運転手さんに聞いてみたら、今は原っぱのようになっているが、震災前は住宅地だったらしい。今はもうほとんどが家も解体され、後3軒ぐらい残るのみとなったそうだ。女川の方はまだ建物が倒れたままだったりするが、そちらにいくには未だ交通の便が悪いらしい。

以下の写真は2つの写真を横に繋げたものだが、運転手さんのいう「原っぱ」の意味がよくわかる。まるで僕のふるさとの原っぱを見ているような光景だ。これらの地にまさに家々が建てられ、人々の生活が営まれ、命が宿っていたのだ。

【眼下に広がる被災地】


川上の方に目を向けてみると、同じく地面がむき出しになっている様子がよくわかる。

【川側の風景】



公園のフェンスには、そこから見えたかつての風景がいくつか鮮やかなカラー写真が飾ってあった。そのボードが放つ発色と目の前に広がるくすんだ土の色とのギャップが、津波がいかにすさまじいものであったかを物語っている。

【上段:ボード(過去の写真);下段:写真(現在)】


【上段:ボード(過去の写真);下段:写真(現在)】


さて、ここからしばらく歩いて「原っぱ」の方に出てみることにした。ざっくりとした地図しかなく、しばしぐるぐると半ば迷ったように歩きさまよい、ようやく平たいところまで出てきた。目に飛び込んできた平地には、やはり明らかにこれは家ごとに区切られた私有地だったんだろう、という網目がはっきりと見て取れる。

【この区切りにはかつて家があった】


近づいてみると、必ずしもそれが単なる「原っぱ」でなく、まだまだ多くの物が残っている様子がよくわかる。これらもかつては日常に普通に存在したものや思い出だったものなのだろう。

【よく見ると未だに多くの物が散乱している】



ちょうど降り立ったところの先にあったのは、ネット等でもよくみる「がんばろう石巻」の看板がある献花台のところだった。そこには当時出火した火が灯り、花が贈られ、だだっ広い平原にたたずむ大きい文字がとても印象的だった。写真で見るよりも随分大きく、人々の負けないという強い思いが刻まれているのだろう。逆に僕自身が励まされてしまったような感覚だ。これは支援活動をしていくとにも何度か抱いたことがある感覚である。

充実ではない。しかし、こちらが何かを学ばせてもらったり、命の尊さを惜しい得てもらったりと、こちらの方が受領する側に立たされてしまうことがよくある。これがある意味での「負い目」となり、さらに続けなければ、と考えるきっかけになるぐらいだ。





献花台に向かいお祈りを捧げた後、僕は川の方へ向かうことにした。途中、よくネット等でも目にすることがあった門脇小学校を左手に見ながら(今はシートに覆われていた)、そのまま川沿いへと歩き始めた。そこでは、未だ津波の爪あとがくっきりと残った建物がいくつか出会うこととなった。

【傷跡を残す建物たち】





これらの家は上から下まで津波の痕跡で覆われている。つまり、まさに「あの」高さに水はあったのだ。被災者の方々はこの高さの水流に飲み込まれまいと、必死に高台へと向かったのだろう。想像することすら恐ろしいほどである。

大地震から3年半以上が経つ。あの直後に行ったときと今では伝わってくる被害も少しずつ薄まっているはずである。それでいて現在もところどころに残っている傷跡は、こちらが意図してみようとせずとも否応にも私の目に飛び込んでくる。

僕はこれらの風景や建物をカメラに収めることを少しためらった。動物園にいる珍しく、かわいらしい動物たちをパシャパシャと写真に撮るのとどこが違うのだろうか、と自問した。それは周りの目から見たら同じに見えるのかもしれない。しかし、僕自身があの場に立ち、歩く中で、向けたまなざしは決して「好奇」というものではなかった。

好奇はこちらから風景を着色する。一方、私が向けた視線はむしろ向こう側にある被写体に見事なまでに跳ね返され、圧倒的な威圧感でこちらに迫ってくる。ある意味(不謹慎にも聞こえてしまうが)、僕は写真を撮らされているような感覚を覚えた。シャッターを切らねばならない、と。

夜のフライトに間に合うよう、夕方には石巻を後にした。再び被災地に降り立つのはいつになるだろうか。ここ3年は青森、山形、そして仙台で開催された、所属学会の東北支部大会に参加している。来年の東北支部大会は岩手。そう、僕にとっては震災当初にネットで繋がった三浦さんがいらっしゃり、刺し子プロジェクトで携わっている大槌町がある岩手。まだいけるかどうかわからないのだが、僕と東北の距離は年々近まっている気がする。

しかし、一方で活動できていることは逆に年々減っている。今回また卒業生を出すあくしゅは、もはや存続は不可能か、とも半ば思っている。しかし、新しく入ってくれた2年生お二人が前向きに考えてくれていて、僕の方が勇気をもらった気がする。

やれることをやる、というペースではいけないのかもしれないが、支援を長い期間にわたって続けていこうと思ったら、やはりまずは一歩一歩こつこつと、といわざるを得ないのではないか。

かつて人類が始めて月面着陸に成功した。宇宙飛行士のニール・アームストロング船長は月面に降り立つ一歩をこう表現した。

"That's one small step for a man, a giant leap for mankind."
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩である。"

僕の被災地初日で最終日はあっという間に終わった。わずか一日、否、半日の間に僕が残した一歩は小さいものなのかもしれない。しかし、僕の人生にとってはそれは大きな一歩なのであり、その一歩はそのインパクトを残しつつ、僕の中でこれからも存在し続けるであろう。次に踏み出すのは、二歩目なのだから。
| comments(0) | trackbacks(0) | 00:21 | category: 投稿 |
# スポンサーサイト
| - | - | 00:21 | category: - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://fumbarofue.jugem.jp/trackback/195
トラックバック
Profile
Comments
Mobile
qrcode
■ふんばろう東日本支援プロジェクト
Search this site
Sponsored Links