被災者支援サークルあくしゅ@福岡教育大学

東日本大震災を機に、被災者支援のために福岡教育大学内に
立ち上げた「被災者支援サークルあくしゅ」のブログ。
これまでの活動報告や支援物資の募集などを更新します。
少しずつでよいので、まずはご協力どうぞよろしくお願いします。
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# ふんばろう東日本支援プロジェクトの教訓より
顧問吉武です。個人FBに書いたことをシェアします。

――――

被災地Xには被災地X独自の事情とニーズがあり、被災地Yには被災地Yの事情とニーズがある。それらのニーズには差異があり、時に全く違う状況であったりする。

今は誰しも情報を発せられる時代なので、Xからの情報が拡散され、Yからの情報も拡散される。

情報を受け取る側は、情報を偶発的・断片的に受け取るため、Xからの情報を目にした人はそれを一般化し、どこもそういう状況なのだと思い、Yの情報を目にした人はそれを一般化する。そうして、数多くの真実が広がり、一般化される過程で、「どれがどこの真実なのか」が収拾がつかなくなってしまう。ここに現在の情報の錯綜がある。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が効果的に動けたのは、XやYのそれぞれのニーズを正確に聞き取りし、それらを正確に知らせ、ピンポイントで支援ができたことが大きい。だからこそ、九州の片田舎の大学で集めたものを、確実にそれらが必要なところに届けることができた。

ただし、この仕組みがうまくいくためには、少なくとも3つの条件が必要になる。

(1)一つは、現地のニーズを確実に調べ上げ、知らせることができる人がいること。実際に避難場所にいる人でもよいし、現地入りして機動力のある人でもいい。(ただ可能であれば協力者を得て、各避難所の中でも組織的に取りまとめる方がいい)

(2)二つ目は、その情報を統括し、発信し、時間軸に沿って需要と供給のマッチアップの記録を更新できる人がいること。これは上記の現地にいる方とやり取りできれば、どこにいても可能である。

(3)ただし、(1)と(2)をうまくつなげても、次の三つ目の条件が不可欠な条件となっている。それは物流を可能にするインフラだ。

ツイートやFB等で「その支援ちょっと待って!」という投稿をよく目にする。これはとても正しい。しかし、上記のように、これだけを一般化してしまうと、支援自体を待ってもいい状況のように読めてしまう。

勘違いしてはならないのは、あくまでも支援は必要であり、急務なのだ。問題はそれを運ぶインフラがどうなっているか、なのである。ここは分けて現状を把握しなければならない。

(以下は、私が現在日本にいないため、情報を正確に把握しておらず、特に細かいローカルな道については確認が不可欠となる。)

福岡目線でいうと、現在高速道路は植木インターから南が封鎖されている模様。植木ICを降りたら3号線で南下すると熊本へ入ることができる(もちろん混雑が予想される;また3号線は北からみ南まで伸びた下道である)。また、大分自動車道の日田から南下すると、阿蘇へ通じる(途中の道が細いため使用可能かは未確認;また日田ICより東は通行止め)。

このように熊本入りするルートが限られているため、道路が混雑し、本当に必要な支援物資や救助の妨げになることが懸念され、現在「支援待って」投稿の原因になっている。

「ふんばろう」のときは、クロネコ便が早いうちに機能し、郵送という形で必要なところに必要なものを必要な分だけ届けることが可能だった。現在クロネコのHPでは「熊本県向けの荷物の荷受けおよび、熊本県全域での集荷と店頭での荷受けについては引き続き中止しております」と出ている(他の運送会社は未確認)。

そのようなバイパスの事情を考えると、個人個人が少量の支援を運ぶことは非効率であり、現時点では、「確実にバイパスを持つところ」に間接的に支援をすることが一番の近道のようだ。

例えば、今日福岡市では、.撻奪肇椒肇襪凌紂別こ封で賞味期限内)、▲肇ぅ譽奪肇據璽僉次↓おむつ(子供用、大人用)、ぅ織ル(未使用、未開封のみ)、ヌ喇曄別せ藩僉¬こ封のみ)、生理用品、の支援物資に限って受け付けたようだ。明日4月18日(月)は10時から20時までらしい(場所は旧大名小学校)。

福岡市の高島市長のブログによると、福岡市から消防と自衛隊のヘリ、さらに陸路と海路から物資を届けます、ということで、空・海・陸のバイパスを確保している模様。現地での細やかな現状把握と配布が心配なところであり、それがふんばろうの強みであったわけだが、今一番効果的な支援はバイパスを持つところに頼るのがよい、というのはそういうことだ。

ただ、いずれ郵送も可能になる日は必ずくる。ニーズも細分化してくる。そのときこそ、ふんばろうのノウハウが生かされ、先の条件1と2をつなげるリンクが重要になると考えられる。

*もし間違ったこと、以上のアイデアに危険性などあれば、ご指摘ください。必要に応じて訂正します。
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# 「悲しみの共有」を超えた「支援」へ
以下のような記事を読みました。今後の支援の在り方について思うところがあり、雑文を個人ページに書きましたので、共有します。(→週刊現代の記事のリンクはこちら



世界が閉塞的で息苦しいと思われるとき、相対的に自身よりもさらに苦しい状況にある状況を直視できない、という状況がある。視聴率が下がっている背景には、そんな実存的な問題があるだろう。

また、海外にいるためTVは見れなかったが、被害状況や当時の映像を感傷的なBGMで飾る番組に対する、識者の批判も目にした。

つまり、現在、「悲しみの共感」が拡大しにくい状況にある、ということだろう。支援のつながりを模索しようとするときにも、こうした実態を押さえていかなければ、有効な支援にはなりにくい。

「明るい支援」というと語弊があるが、「支援するー支援される」という構図とは違い、支援する側もそのことで前向きになれるような支援、または、そのための具体的な支援モデルも、これから模索していかなければならないのではないか。

それは、震災当初多くのボランティアが訪れたときに「自分探しのための支援」と一部批判されたような支援とは異なるように、僕には思えるのだ。
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# ■仙台出張2日目:石巻を訪れる〜被災現場を歩く〜
出張二日目。時間が出来たので、仙台からさほど遠くない石巻まで足を延ばした。時間があれば、レンタカーで南三陸や気仙沼まで行きたい思いはあったが、滞在時間も限られており、バスで1時間ほどで行け、本数も多く出ている、石巻に行くことに決めた。

石巻の津波の映像はいくつか見たこともあったし、なんといっても多くの犠牲者を出した大川小学校の悲劇は語り継いでいかねばならない。今回の僕には石巻というところに縁があったんだろう。

バスは石巻駅に到着。初めて被災地と呼ばれるところに降り立った。僕の人生において意味ある一歩である。漫画家石ノ森章太郎のふるさとと言うことで、駅にはロボコンやサイボーグ009のキャラの絵などがあちらこちらに描かれている。僕ら世代にとってはたまらないお出迎えだ。

まずは被災地を一望しようと日和山公園へ。被災者の方々が命がけで登り、いくつかの津波の映像が撮影されたところでもある。印刷してきた地図を見ると、歩けない距離ではないが、その後に少し長い距離歩くために、まずはタクシーで向かった。運転手さんに聞いてみたら、今は原っぱのようになっているが、震災前は住宅地だったらしい。今はもうほとんどが家も解体され、後3軒ぐらい残るのみとなったそうだ。女川の方はまだ建物が倒れたままだったりするが、そちらにいくには未だ交通の便が悪いらしい。

以下の写真は2つの写真を横に繋げたものだが、運転手さんのいう「原っぱ」の意味がよくわかる。まるで僕のふるさとの原っぱを見ているような光景だ。これらの地にまさに家々が建てられ、人々の生活が営まれ、命が宿っていたのだ。

【眼下に広がる被災地】


川上の方に目を向けてみると、同じく地面がむき出しになっている様子がよくわかる。

【川側の風景】



公園のフェンスには、そこから見えたかつての風景がいくつか鮮やかなカラー写真が飾ってあった。そのボードが放つ発色と目の前に広がるくすんだ土の色とのギャップが、津波がいかにすさまじいものであったかを物語っている。

【上段:ボード(過去の写真);下段:写真(現在)】


【上段:ボード(過去の写真);下段:写真(現在)】


さて、ここからしばらく歩いて「原っぱ」の方に出てみることにした。ざっくりとした地図しかなく、しばしぐるぐると半ば迷ったように歩きさまよい、ようやく平たいところまで出てきた。目に飛び込んできた平地には、やはり明らかにこれは家ごとに区切られた私有地だったんだろう、という網目がはっきりと見て取れる。

【この区切りにはかつて家があった】


近づいてみると、必ずしもそれが単なる「原っぱ」でなく、まだまだ多くの物が残っている様子がよくわかる。これらもかつては日常に普通に存在したものや思い出だったものなのだろう。

【よく見ると未だに多くの物が散乱している】



ちょうど降り立ったところの先にあったのは、ネット等でもよくみる「がんばろう石巻」の看板がある献花台のところだった。そこには当時出火した火が灯り、花が贈られ、だだっ広い平原にたたずむ大きい文字がとても印象的だった。写真で見るよりも随分大きく、人々の負けないという強い思いが刻まれているのだろう。逆に僕自身が励まされてしまったような感覚だ。これは支援活動をしていくとにも何度か抱いたことがある感覚である。

充実ではない。しかし、こちらが何かを学ばせてもらったり、命の尊さを惜しい得てもらったりと、こちらの方が受領する側に立たされてしまうことがよくある。これがある意味での「負い目」となり、さらに続けなければ、と考えるきっかけになるぐらいだ。





献花台に向かいお祈りを捧げた後、僕は川の方へ向かうことにした。途中、よくネット等でも目にすることがあった門脇小学校を左手に見ながら(今はシートに覆われていた)、そのまま川沿いへと歩き始めた。そこでは、未だ津波の爪あとがくっきりと残った建物がいくつか出会うこととなった。

【傷跡を残す建物たち】





これらの家は上から下まで津波の痕跡で覆われている。つまり、まさに「あの」高さに水はあったのだ。被災者の方々はこの高さの水流に飲み込まれまいと、必死に高台へと向かったのだろう。想像することすら恐ろしいほどである。

大地震から3年半以上が経つ。あの直後に行ったときと今では伝わってくる被害も少しずつ薄まっているはずである。それでいて現在もところどころに残っている傷跡は、こちらが意図してみようとせずとも否応にも私の目に飛び込んでくる。

僕はこれらの風景や建物をカメラに収めることを少しためらった。動物園にいる珍しく、かわいらしい動物たちをパシャパシャと写真に撮るのとどこが違うのだろうか、と自問した。それは周りの目から見たら同じに見えるのかもしれない。しかし、僕自身があの場に立ち、歩く中で、向けたまなざしは決して「好奇」というものではなかった。

好奇はこちらから風景を着色する。一方、私が向けた視線はむしろ向こう側にある被写体に見事なまでに跳ね返され、圧倒的な威圧感でこちらに迫ってくる。ある意味(不謹慎にも聞こえてしまうが)、僕は写真を撮らされているような感覚を覚えた。シャッターを切らねばならない、と。

夜のフライトに間に合うよう、夕方には石巻を後にした。再び被災地に降り立つのはいつになるだろうか。ここ3年は青森、山形、そして仙台で開催された、所属学会の東北支部大会に参加している。来年の東北支部大会は岩手。そう、僕にとっては震災当初にネットで繋がった三浦さんがいらっしゃり、刺し子プロジェクトで携わっている大槌町がある岩手。まだいけるかどうかわからないのだが、僕と東北の距離は年々近まっている気がする。

しかし、一方で活動できていることは逆に年々減っている。今回また卒業生を出すあくしゅは、もはや存続は不可能か、とも半ば思っている。しかし、新しく入ってくれた2年生お二人が前向きに考えてくれていて、僕の方が勇気をもらった気がする。

やれることをやる、というペースではいけないのかもしれないが、支援を長い期間にわたって続けていこうと思ったら、やはりまずは一歩一歩こつこつと、といわざるを得ないのではないか。

かつて人類が始めて月面着陸に成功した。宇宙飛行士のニール・アームストロング船長は月面に降り立つ一歩をこう表現した。

"That's one small step for a man, a giant leap for mankind."
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩である。"

僕の被災地初日で最終日はあっという間に終わった。わずか一日、否、半日の間に僕が残した一歩は小さいものなのかもしれない。しかし、僕の人生にとってはそれは大きな一歩なのであり、その一歩はそのインパクトを残しつつ、僕の中でこれからも存在し続けるであろう。次に踏み出すのは、二歩目なのだから。
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# ■仙台出張初日
2014年11月8日、僕は初めて仙台の地に降り立った。

ここ3年続けて所属学会の仕事で東北支部大会に出張させてもらっており、東北との心理的距離もぐっと近くなった。九州にいると東北は遠く感じられる。被災者支援の活動をしても、地理的にも遠く、なかなか自分の目で見、足で歩くことが出来ず、それを少しだけ後ろめたく思っていた自分がいた。その意味では今年の仙台出張は一番近いところまで近づいたことになる。

ここ最近特に多忙を極め、3時間睡眠が続き、体力的にも限界だった。8日当日の仕事も前日にも限らず何も出来ていない。仕方がない、飛行機の中で準備をするか。そんなことを思いながら、前日の夜、会場までの経路確認や資料の印刷などを研究室でやっていた。最後に、今まで被災地の方々からお礼でいただいた手紙を読み返していた。その中に仙台市内からいただいたはがきが2枚あった。同一の方からのお手紙だ。

このご夫婦は震災当日奥さんがまだ妊婦さんだった。いただいた二通目のおはがきは、元気な赤ちゃんが生まれました、という報告だった。このご一家、まだこの住所にいらっしゃるのかなぁ、と思い、失礼ながら少し検索にかけさせてもらった。すると、生まれた女の子の名前でヒットし、なんと、ある広報誌の表紙に、大きくなり顔もしっかりしたその子の写真が載っているではないか。はがきの生まれたばかりの赤ちゃんが、こんなにもすくすく育っているとは、心が熱くなった。

住所も仙台の中心からさほど遠くない。前もって連絡する時間もないが、仕事のため会場入りする前の2時間ほどの空き時間を利用し、おはがき二通と簡単な手土産だけ持って、マンションを訪れてみることにした。

あまり細かい地図を印刷してこなかったので、当日は行き方がわかりにくく、迷いながらもなんとか現地に到着。マンションの郵便受けには名前がなく、まだ住んでいらっしゃるのかわからない。部屋の前のドアまで来た。子供のおもちゃもある。思い切ってピンポンを鳴らしてみた。

残念ながら僕が探していた方ではなかった。すでに引越しされていたらしい。残念ではあったが、また一歩前に進まれたんだろうな、とうれしくもあった。

せっかくなので広報誌の方にメールをしてみようかと思っている。元気に育っているお子さんを見てうれしくなった、ということだけ伝えたいと思っている。転送していただけるようであれば。

つらい経験はそう簡単には消えないだろう。しかし、それでも命は確実に巡っている。
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# 2013年を終えようとしている今、あらためて・・・・
こんばんは。FBのあくしゅメンバーのページに書いたつぶやきをここに記します。

−−−−−−−−−−−

今年は何も動けないまま、一年が終わろうとしています。僕もばたばただし、メンバーも卒論や学業で忙しかった1年だったと思います。

ただ心のどこかで、「このままでいいんだろうか」という思いにいつも葛藤しています。余裕がない中で、今はキャンベラ英語研修の企画をすることにしたので、そちらの方に「えいや!」と飛び込んでしまい、また支援活動がずれこんでしまいそう。ジレンマです。

一応来年度も「あくしゅ」は存続していこうとは思っていますが、また人数は少なくなり、状況は必ずしもいい状況にある、とは言い難い。

「ボランティア」というのはその本義上「無償」であるものなので、自分がすべきことがまずあって、それにプラスαして何かする、というのが日常なあり方でしょう。ということは一般的には、それだけの心、時間、金銭的余裕がなければできない、ということです。

一方で、それは主観的であり、相対的でもあります。つまり、時間がないと思っていても、覚悟を決めれば時間が作れるということがありますし、余裕がないと言っても被災地の余裕のなさを思うと自分の余裕のなさが小さく感じられる、ということも起こりえます。

だからこそ、どうしても自分にいいわけをしているようで、ジレンマを抱えてしまいます。悩んでいる時間はないはずなのに、悩む時間もない。といういいわけをしているようで・・・・∞。

少し大雑把だけど、大きなことを語りたいと思います。

僕が描いているのは、まず、「あくしゅ」の活動が力んでやるようなものではなく、もう少し肩の力を抜いて楽しくやれるようなものとなって、みんなが取り組んでいる、というものです。メンバーが自主的に何か好きなことを企画したり、これもできるんじゃない?って刺激し合ったり、これみんなに知らせたいよねって思うことを自由に発信したり、そんなイメージです。不謹慎と言われるかもしれませんが、そういう遊び心のようなものがあってこそ、長く続くための創造性も生まれるんじゃないかな、って思っています。

ただし、それが可能になるためには、先に述べたような、例えそれが主観的・相対的なものであっても、心・時間・金銭的余裕が必要です。そこが難しいところ。大学自体が学生を忙しくさせているし、学生自身も他のサークルやバイトなど結構忙しくしていたりする。だから、本当に主体的にやろうと関われる環境にあるか、それだけの気概を持っている人が集まらないと実現しない夢なのかもしれません。

もう一つ、あくしゅの活動が他の学生に知らず知らずのうちに感染し、ボランティアに協力することが当たり前の風景となり、当たり前の行為と受け止められるような雰囲気です。例えば、あくしゅでいくつかの企画を立てたとしましょう。それを学生の中で、俺今回は東北支援に協力するね、次はカンボジアの教育の方に募金するわ、といった具合に、あたかもいくつもある募金箱から自分がサポートしたいところを選んで募金するような感じで、協力へのハードルが低くなり、でもそれなりにポリシー持って進んで協力しようとする姿勢、そんなものが「あくしゅ」が日常にあることから派生していけば、と思っています。

これらは僕が皆さん方(学生)に(2011年)4月29日だったか、最初の説明会をほぼ思いつきで呼び掛けたときから変わっていません。ただ、震災から数年がたち、それが実現する機運が日本でも学内でも下がっているということだと思います(もちろんそれは気温のような自然現象ではなく、自分も含めた人間が作り上げている我々の問題なわけですが)。

だからといって、(在籍メンバーに)どうしてくださいとか、お願いするようなことをいいたいわけではありません。これは僕自身への言葉として書いているのだと思います。初心に戻ろうとしている自分やいいわけをしている自分に対し。

そこからまた皆さんのなかから、学内で、またはそれぞれの環境の中で、今一度今できることの意味を問い直すきっかけになってくれたら、それは嬉しく感じます。

今年ももう後数日です。みなさん、よいお年をお迎えください。そして、また2014年に新たな気持ちで被災者の方々に寄り添えるような活動をしていきましょう。
| comments(0) | trackbacks(0) | 01:06 | category: 投稿 |
# あくしゅ、3年目に突入
新年度初めての投稿です。無事にサークル登録はしました。二学年の卒業を経た今、残された人数は少ないですが、少しでも新しい方々に入ってもらい、何かしらの意義ある活動を続けていきたいと思っています。

今日は先週ふと感じた思いを綴っておきます。

先週金曜日、出席をとるとき、僕の手が一瞬止まった。4月19日。この数字を書き込んだとき、僕には「感慨深い」とはちょっと違った、使命感や焦りや希望などが入り混じった複雑な気持ちがよぎった。食べ物にしたら、恐ろしく複雑な味がする食べ物に違いない。

この4月19日とはあくしゅにとって特別な日だ。人間で言えば誕生日にあたる。そう、あくしゅの2歳の誕生日だ(→2011年4月19日最初の投稿)。

2年前のこの日、僕は手伝ってくれた学生らとともに、定年坂でビラ配りをしていた。まさか、自分が通ったキャンパスで教員となった自分が学生に頭を下げながらビラを配ることになろうとは、夢にも思わなかった。

あの日、35名の方が集まってくれた。その分布はというと:

2年生 4名
3年生 14名
4年生 4名
院1年生 5名
科目等履修生 1名
学年不明 2名

つまり、最初に書いたとおり、2年経った今、このうち「2年生4名」が今4年生である。このときは説明会に集まってくれたサポーターのような方々であり、当時はあくしゅ自体は立ち上がっていない。それでも、このときに集まりが出発点となり、その中から積極的に参加してくれた十数名であくしゅを立ち上げることができたという意味では、まさにこの4月19日はあくしゅにとって誕生日なのだ。

誕生日とは普通めでたいものである。しかし、今のあくしゅにとっては厳しい現状を前に心引き締める通過点にすぎない。それでも、やるからには賛同者を中心に、しっかりと前を向いて、進んでいきたいと思う。

被災地はまだまだ復興には遠く、置き去りにされている感もある。人は忘れる動物だから、みんながみんな同じように行動することはできないだろう。それでも覚えている人が被災者の方々に「覚えているよ」と伝え、周りの人たちに「思いだしてね」と声をかけることはできる。

僕がささやかでしかない活動を敢えてここに挙げたり、ツイートしたりしているのは、「いいことしました」というアリバイ作りのためでは決してなく、周りへの問いかけや囁きかけをしたいという思いからだ。

だから、僕はこれからもささいなことを細々とつぶやいていく。そして、そんなささいなことを見た人がそれぞれの環境で「これくらいなら俺もできそう」だとか「キャンパスでこんなことしてるなら私もちょっと募金してみようかな」などと思って、行動してくれることを願い続ける。人に行動は強制できない。しかし、人の中に何かしたいという思いを起こさせるためには黙っていても仕方がない。見せる行動はその文脈に限定される。だから、こうして文字化して伝えることで、これからも「見せ」続けていきたいと思う。

昼休みなど声上げることもあるかもしれませんが、今年度もよろしくお願いします。
| comments(0) | trackbacks(0) | 00:40 | category: 投稿 |
# 節目の後に
いろいろと考えることがあるけれど、今日はそれらのことばをすべて飲み込みたい気分。

人は節目にいろいろと振り返る。それはいいことではある。私たちはそうやって記憶していく動物なのだから。

でも同時に、扱い方や語り口によってはあまりにも扱いが軽すぎて、げんなりくることもある。今日のラジオのDJの軽快な語りはあまりにも美辞麗句が並びすぎて、その人の思いや受け止め方が何も感じられず、単に音楽を流す方便にしか聞こえなかった。

「祭り」の後の寂しさってのがある。震災のような悲劇においては、むしろその節目の後の寂しさの方が現実なのだろう。竹に例えれば、節と節の間の空洞をどのように過ごすか、どのように生きるかがより現実なのだ。

だから日付が変わるのを黙って待ってみた。そしてまた粛々とAKUSHUONしていこう。

別の被災地神戸にて静かな決意を胸に。
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# 「好きだよ」と伝えること
クリスマスの夜は小田和正の「クリスマスの約束」を見るのが、僕の中のささやかな年間行事となっている。いつも見れているわけではないが、今年も見ることができて、ほっこりとした気持ちになった。

知らなかったが、小田和正は震災後、歌を作れなかったという。その彼がツアー前に作った新曲が、東北への思いをつづった「その日が来るまで」という歌だ。今日、この曲を初めて聞いた。

これだ、と思った。

僕ら九州からどれほどの支援ができているのか、と考えるとき、正直、時にとても暗い気持ちになる。常に不足感に苛まれる。仕事でがんじがらめの毎日に、ジレンマを感じることもある。

確かに支援の実績という意味では、十分な活動ができていないことには変わりない。しかし、今日小田和正が歌う「その日が来るまで」を耳にしたとき、「量」としては十分に届けられなかったとしても、送るモノに付して届ける「想い」も、量と同じくらい大事じゃないかって思った。

小田和正は歌う。

君の好きなふるさとの街にまた あの日々が戻って来ますように

嬉しいことが 楽しいことが たくさん待ってるといいね

僕には歌うことしかできないけど

君が好き 君が好き それを伝えたかったんだ

遠くからずっと君を思ってる

そう、「君が好き」とは「愛」のこと。これは被災地に愛を伝えようとする歌だ。

僕らの活動はここでいう「歌うことしかできないけど」ということ。常にそこには消えることのない満たされぬジレンマが絶対的に存在するものなんだ。それでいて「あなたのことを忘れていないよ、ずっと思ってるよ」という思いを絶えず、何年も伝え続けること。僕らの活動はこのことに尽きるんじゃないか。

これで活動が不十分であることを正当化するつもりはない。でも不十分さに嘆くより、もっと大切なことがあるんじゃないか。モノを送ること自体ではなく、「あなたのことを今も思ってます」という想いを伝えるためにモノを送るという媒介を使うという方が、僕らが大事にすべき事じゃないか。

そう思うと、去年からのメンバーがほぼいなくなる来年度以降もなんとか続けて行かなくちゃ、という思いが湧いて出る。細々じゃだめだ、という人もいるだろう。でもとにかくまずは細々でも「続ける」ことが大事なんだ、と思う勇気が湧いた。

この想いを被災地に一緒に伝えようとしてくれる人が、もっともっと増えるといいな。

*リンクは本人でなくてカバーだけど、なかなかいい声で歌ってらっしゃるので、はってみました。こんな曲です。→「その日が来るまで」
| comments(0) | trackbacks(0) | 02:09 | category: 投稿 |
# ■NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19億円」を見て

本日深夜、NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19億円」の再放送があった。放送中からツイッターで頻繁にツイートされるなど、反響が大きかったこの放送。前回は見逃してしまったので今日は絶対見るぞという気持ちで一日を過ごした。

 

見ての最初の一言は、まさに、「衝撃」。

 

被害とは関係のない事業のために、しかも被害とは関係ないところへ多額の復興予算が流れていたという、暴かれた「真実」に言葉が出ない。まさに空いた口がふさがらないとはこのことだ。

 

詳細はメモできなかったが、どこかの省(経産省?)の510件の事業のうち、被災がひどかった3県で採択されたのは30件にとどまり、残りはすべて関係のない県外に流れていたらしい。しかも、(同じ省や事業かわからないが)専門家に事業計画書を調べてもらって分かったことは、関係のない県に流れていただけでなく、被災者支援に直接関係する事業は全体の4分の1に留まり、あとは被災者支援に間接的にしか、もしくは直接的には関係ない事業として「流用」されていたという。事業に応募した企業が根拠とした政府文書の中に「活力ある日本全体の再生」という文言があり、これにこじつける形で要求したところが多かったらしい。

 

その一方で、商店街を復興させるための事業を県に応募したところ不承認になったり、被災地に残って医療活動をしている個人経営の医者たちに多額な個人的負担をかけたりと、国の言う「被災者支援には十分すぎるぐらい使っている」という説明とは、大きく現状が異なることも明らかになった。

 

復興予算は「誰」の復興か、をもとに使われなければならない。今回の場合は特に、原則的にその方々への「直接」的な支援でなくてはならない。極端な話、まずは一人1000万円の資金を「ばらまき」、残りで瓦礫撤去やインフラ整備などに充てるなど、1円残らず「被災者」のために使われなければならない。「間接」的な支援に使われてはだめなのだ。そこに「なんでもあり」がつけ入る隙ができてしまうから。

 

今回の未曽有の震災を前に、支援の在り方も大きく変わり、ある意味この危機が私たちの社会の作り方や幸せの在り方についての洞察を深め、民度を上げたような一面があったことは否定できない。ふんばろう東日本支援プロジェクトのように、行政に任せず、ツイッターやネットなどを駆使しながら、民が直接動くことで効果的な支援を繰り広げてきた。原発の問題にしても、単なるおらが村のレベルを超え、社会の問題として捉え、大きな声を上げる人も増えた。地震と津波の傷跡はひどいものだったが、その裂け目から市民意識という萌芽が芽吹いてきたようなところがあった。

 

しかし、結局、マクロの構造は変わっていなかった。つまり、この国ではまだ民ではなく「国」が主人公であり、その「国」にまとわりつく「ウイルス」が蔓延しているのである。

 

民主主義も自分たちの手で勝ち取ったのではなく、この国ではそれは与えられたという歴史がある。アメリカの庇護のもと、軍事的なことは考えずに、内需拡大だけに集中してきた。つまり、私たちはつねに国やそれをも超越するものに支えられ、守られながら、ここまでやってきた。それはまるで保護者に面倒みられている「こども」のようだ。

 

日本では国のことを「国家」とよび、それはすなわち「国」という「家」と書く。「家」とはモノであり、雨風などから私たちを守ってくれるものである。でも本当の国家は「家」ではないし、モノではない。それは国民の力で絶えず築き上げるべき人と人との関係性であり、制度である。そのように行動する人たちのことを私たちは市民と呼び、彼ら・彼女たちこそ国の主人公であるはずである。国家とはつねに憲法という民からの要求によって縛られるべき権威である。本来、国民は国をコントロールしなければならないのであり、主−奴が逆転してはならないのである。

 

今回の大震災をして、人々に変化の兆しは見られたものの、結局は「国家」側の意識は何も変わらず、それに群がる人たちのメンタリティも変わっていなかったのだ。

 

東日本大震災のようなカタストロフィ以外に、この国がどうやって変われるというのだ。悲劇は起きてしまった。でも、強く生きようとしている人たちがいて、その人たちを後押しすることはできる。復興予算はそのためにある。

 

助ける人が国家であろうと人であろうと、被災者の支援のために予算をつぎ込まなければならない、ということには変わりない。それはいたって単純なことだ。もしかしたら国家を支えているマシーン達は「そんなに単純ではないんですよ」というかもしれない。でもそうじゃない。すべきことは極めてシンプルなのだ。そういう人たちは、そのシンプルなことよりそのほかの事情を優先してしまうことで、事態を複雑にしてしまっているだけなのだ。

 

ふんばろう代表の西條さんが言うように、まずは目的を定め、それに向かって皆が取り組むこと。それ以外のことは二の次だ。この原則が貫徹されれば何をすべきかはぶれないものなのだ。

 

今回の番組では、これらの予算は多額の「増税など」で賄われた、と言っていた。僕のように国立系の組織に所属している身としては、増税はもちろんだが、給与削減によってものしかかってきている。もちろん、僕らは血税を配分していただいて仕事させてもらっているので、必要な時は削減もいたしかたないというところはある。血税だからこそ、ありがたく頂戴し、その変わり利益など関係なく、とことん仕事を遂行することを使命として働いているのである。それが僕ら国家公務員に準ずるものの仕事だ。

 

正直僕のような「准」教授で(ちなみに教授か准教授かは年齢やポストの空き状況次第というのがほとんどで同じような年齢でとっくに教授ってこともある;当然月々の給与も多いに異なる)、家族持ちで、一馬力で、ローンもあって、という人間にとって月3万円削減されるとかなり辛い。それでもそうした削減が必要で、用途に納得できればいいのだ。増税も同じだ。しかし、今回の給与削減も今回のように結局は直接的な支援にほとんどなっていない、という「現実」を突き付けられたときに、全くをもって「納得」感が得られないのだ。

 

この「筋の通らなさ」が今の日本には蔓延している。これはほとんど不治の病といってよいほど頑固であり、この国と国民を根っこから脅かしている。

 

しかし、その不治の病を治したいと思ったら、今しかない。

 

この大震災後の日本の復興の時期以外にどこにあるというのだ。

 

民意は芽吹きつつある。今一度、国や上に立つ者は「現実」を見よ。「形式」に囚われず、共通の目的(つまり「内容」)を重視せよ。想像力を持って、自身の(優遇された)立場を相対化せよ。

 

 

最後に、「あくしゅ」のような民による草の根の支援はこれからも続けて行かねばならない、と強く思った。国が駄目だからというのもある。そしてなによりも、こういう支援活動の続行が民度を芽吹かせる水となるのだから。でたらめな予算の使い方のため、増税や給与削減に納得していなくても、「上を正す」ことと「民レベルの支援を続けること」は別物である。前者のために後者を犠牲にしてはならない。

 

今年度より主任になり、学会で任された仕事ものしかかり、他にもすべき仕事が山積し、科研も当たり、日々の教育も立て直しをしなければならない今、正直支援活動も鈍っている。また、家庭人でもあるし、その上に支援活動が重くのしかかっている形になっている。私自身がこれらのことに押しつぶされてそうな現状にある。

 

それでもだ。

 

やはり手を止めてはだめなのだ。

 

来年以降の活動が危うい今、あくしゅの在り方も模索しなければならない。でも、細かいことはくよくよ考えないようにしよう。まずは、今自分ができることを周りのみんなと一緒にアクションとして起こしていくこと。このことだけを考えて行こう。

 

その先に進むべき道は現れるはずだ。もし現れなかったら。その時はまたそのときに切り開いていけばいいさ。

 

さぁ、本学のみなさん、あくしゅメンバーのみんな、初心に戻り、被災者の皆さんに寄り添い、支援活動に取り組んでいきましょう。 


そのために、皆さんの手を貸してください。お願いします。

| comments(1) | trackbacks(0) | 03:55 | category: 投稿 |
# 予感
6月になりました。今年度に入ってまだ活動できず。かなり焦りを感じていますが、僕自身もなかなか身動き取れないのと体力(体調)が付いてこず、旗振りすることもできません。

そんな中、今日ルーム生のお一人が今年度の学祭での企画の協力を申し出てくれました。学祭と言えば、昨年度は人手不足で自治会に人を出すことができず、正式な参加は諦め、僕の英語を受講してくれていた学生さんが起点となって、募金への協力という形で参加させてもらいました。その際は6万7000円強を集めることができ、こたつプロジェクトを通して18台ほどのこたつを送りました。

今年度はそのルーム生を中心に10名近くの方の協力を得、大々的に正々堂々と学祭で企画として立ち上げ、被災者支援のためのファンドレイジングを実現したいと思います!!!どうもありがとう。

その際、あくしゅが旧メンバーと今回の協力者の二重構造になるのではなく、ともに「あくしゅ」メンバーとして取り組むために、うまく融合していきたいと思っています。ふんばろう東日本支援プロジェクトの規則の中に、自分たちの共通目的が「被災者支援」であり、それ以外のことは目的から反することであることを確認し、皆が被災者のために活動するようにする、というものがあります。僕らもそう。被災者支援のためにともに動いていきましょう!

現在のメンバーの多くは今年度が終わると同時に修了・卒業していきます。これからのあくしゅに繋げるにあたって、何かいい「予感」を感じます。その予感をぜひとも実現させていきたいです。みんなも、よろしく!
| comments(0) | trackbacks(0) | 22:39 | category: 投稿 |
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