被災者支援サークルあくしゅ@福岡教育大学

東日本大震災を機に、被災者支援のために福岡教育大学内に
立ち上げた「被災者支援サークルあくしゅ」のブログ。
これまでの活動報告や支援物資の募集などを更新します。
少しずつでよいので、まずはご協力どうぞよろしくお願いします。
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# ふんばろう東日本支援プロジェクトの教訓より
顧問吉武です。個人FBに書いたことをシェアします。

――――

被災地Xには被災地X独自の事情とニーズがあり、被災地Yには被災地Yの事情とニーズがある。それらのニーズには差異があり、時に全く違う状況であったりする。

今は誰しも情報を発せられる時代なので、Xからの情報が拡散され、Yからの情報も拡散される。

情報を受け取る側は、情報を偶発的・断片的に受け取るため、Xからの情報を目にした人はそれを一般化し、どこもそういう状況なのだと思い、Yの情報を目にした人はそれを一般化する。そうして、数多くの真実が広がり、一般化される過程で、「どれがどこの真実なのか」が収拾がつかなくなってしまう。ここに現在の情報の錯綜がある。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が効果的に動けたのは、XやYのそれぞれのニーズを正確に聞き取りし、それらを正確に知らせ、ピンポイントで支援ができたことが大きい。だからこそ、九州の片田舎の大学で集めたものを、確実にそれらが必要なところに届けることができた。

ただし、この仕組みがうまくいくためには、少なくとも3つの条件が必要になる。

(1)一つは、現地のニーズを確実に調べ上げ、知らせることができる人がいること。実際に避難場所にいる人でもよいし、現地入りして機動力のある人でもいい。(ただ可能であれば協力者を得て、各避難所の中でも組織的に取りまとめる方がいい)

(2)二つ目は、その情報を統括し、発信し、時間軸に沿って需要と供給のマッチアップの記録を更新できる人がいること。これは上記の現地にいる方とやり取りできれば、どこにいても可能である。

(3)ただし、(1)と(2)をうまくつなげても、次の三つ目の条件が不可欠な条件となっている。それは物流を可能にするインフラだ。

ツイートやFB等で「その支援ちょっと待って!」という投稿をよく目にする。これはとても正しい。しかし、上記のように、これだけを一般化してしまうと、支援自体を待ってもいい状況のように読めてしまう。

勘違いしてはならないのは、あくまでも支援は必要であり、急務なのだ。問題はそれを運ぶインフラがどうなっているか、なのである。ここは分けて現状を把握しなければならない。

(以下は、私が現在日本にいないため、情報を正確に把握しておらず、特に細かいローカルな道については確認が不可欠となる。)

福岡目線でいうと、現在高速道路は植木インターから南が封鎖されている模様。植木ICを降りたら3号線で南下すると熊本へ入ることができる(もちろん混雑が予想される;また3号線は北からみ南まで伸びた下道である)。また、大分自動車道の日田から南下すると、阿蘇へ通じる(途中の道が細いため使用可能かは未確認;また日田ICより東は通行止め)。

このように熊本入りするルートが限られているため、道路が混雑し、本当に必要な支援物資や救助の妨げになることが懸念され、現在「支援待って」投稿の原因になっている。

「ふんばろう」のときは、クロネコ便が早いうちに機能し、郵送という形で必要なところに必要なものを必要な分だけ届けることが可能だった。現在クロネコのHPでは「熊本県向けの荷物の荷受けおよび、熊本県全域での集荷と店頭での荷受けについては引き続き中止しております」と出ている(他の運送会社は未確認)。

そのようなバイパスの事情を考えると、個人個人が少量の支援を運ぶことは非効率であり、現時点では、「確実にバイパスを持つところ」に間接的に支援をすることが一番の近道のようだ。

例えば、今日福岡市では、.撻奪肇椒肇襪凌紂別こ封で賞味期限内)、▲肇ぅ譽奪肇據璽僉次↓おむつ(子供用、大人用)、ぅ織ル(未使用、未開封のみ)、ヌ喇曄別せ藩僉¬こ封のみ)、生理用品、の支援物資に限って受け付けたようだ。明日4月18日(月)は10時から20時までらしい(場所は旧大名小学校)。

福岡市の高島市長のブログによると、福岡市から消防と自衛隊のヘリ、さらに陸路と海路から物資を届けます、ということで、空・海・陸のバイパスを確保している模様。現地での細やかな現状把握と配布が心配なところであり、それがふんばろうの強みであったわけだが、今一番効果的な支援はバイパスを持つところに頼るのがよい、というのはそういうことだ。

ただ、いずれ郵送も可能になる日は必ずくる。ニーズも細分化してくる。そのときこそ、ふんばろうのノウハウが生かされ、先の条件1と2をつなげるリンクが重要になると考えられる。

*もし間違ったこと、以上のアイデアに危険性などあれば、ご指摘ください。必要に応じて訂正します。
| comments(0) | trackbacks(0) | 19:43 | category: 投稿 |
# 震災時の只中とその後の思考(英コミュ研究室ブログより)
吉武です。

熊本の地震、大きかったようですね。在外研究で海外にいるため実感できませんでしたが、震度7という数字に思わず、「えっ!?」と思いました。

思ったことをブログに書いているので、転用します(「震災時の只中とその後の思考」以下はその内容です)。

ーーーーー

震災時、私たちの意識は「人」に向く。

自分の身の守り、家族のもとに駆け付ける。遠くにいる人には連絡をして、安否を確認しようとする。地震の場合、ひとまず落ち着いても、小さな揺れなどが続くので、緊張状態はしばらくの間続く。

これが私たちの内的世界。それはすごく自然な世界観だ。

後々になってよく考えてみると、いかに狭い世界の捉え方をしていたかがわかってくる。

ハワイにいても、震度7という見慣れない数字を見て心配になり、ツイッターのTLを確認し、「大丈夫かなぁ」と声を漏らすように、文字通りそんな一言を「つぶやいたり」する。多くの人が電話もするだろう。でも、それで回線がパンパンになってしまうので、遠慮しておこうとは、その時にはなかなか思えない。

これだけ原発のことが言われていても、僕自身恥ずかしながら、九州にある二つの原発のことが頭によぎることはなかった。実家は、そのうちの一つの20卞發舛腓Δ匹里箸海蹐砲△襪里法

人々は余震を「余震」と呼ぶけれど、西條剛央さんが書いていたように、それが余震であるのかどうかは事後的でないと判断できない。

同じように、震災時の世界の捉え方の「狭さ」は、正確には、事後的になってみないとわかりにくい、ということだ。後々になって、どうしてこんなことをしていたのか、こうすべきだった、すべきでなかった、と申し立てることはできるが、只中でのそういう認識は構造上難しい面がある。

私たちの認識を形作っているのは、時間と距離(time & place)の意識への現れ方だ。時間が経ち、物事から距離が生じることでできる認識がある。

したがって基本的には、災害時には人々の視野はぐっと狭まり、思考が硬直化するという前提のもと、災害で「ない」ときに、振り返り、策を練り、緊急に備えて準備をしておく、ということなんだろう。特に、それが行政や人の命を預かる人たちにおいて。

なぜこんなことを書こうと思ったかというと、寝る前(地震直後)の自分や人々の内的世界と、起きた後(時間が経った後)にちらほら見られた少し棘のある批判に違和感を感じたから。

批判が知恵になれば大いにいいことだ。そのために、僕らは時々批判を覆っている棘を取り、解毒し、誰もがアクセスできる知恵に仕立てる努力もしなければならない。

こういうときには、物事の本質を捉える思考が求められる。現象学はそうだ。ただ、常に物事を分析していると「冷めてる」と言われてしまうので注意したい、が。人は「熱い」がゆえに、緊急時に注意が人に向かうのだろう。

大切なのは、距離ゼロ状態における感情的な熱さと、時間が過ぎ距離が生まれクールダウンした状態が個人のなかで往還すること、そして、多くの人が只中で感情的になっているときにクールダウンして物事を見つめる人がいる一方で、事態を忘却し冷めた人のなかもなお熱く語る人が混在し、社会が多声的状態にあること。

個人や社会の中が雑多であることは、人そして人々が生き延びるうえで重要な知恵だ。だからこそ、共存の原理とそのためのコミュニケーションを僕らは模索している。

そういう思考はお金にならないため、政策的には軽視されるかもしれないが、クールにそろばんをはじく人が多い社会だからこそ心は熱く、人々がお金や目に見えるものだけに熱くなりがちな社会だからこそ、お金で測れないものや目に見えない価値をクールに査定し、それの言動は冷静でありたい。、ご無事でなにより)。その地に住む方々皆さんの無事を願う。そして被害が大きくなりませんよう。
| comments(0) | trackbacks(0) | 04:35 | category: - |
# 「悲しみの共有」を超えた「支援」へ
以下のような記事を読みました。今後の支援の在り方について思うところがあり、雑文を個人ページに書きましたので、共有します。(→週刊現代の記事のリンクはこちら



世界が閉塞的で息苦しいと思われるとき、相対的に自身よりもさらに苦しい状況にある状況を直視できない、という状況がある。視聴率が下がっている背景には、そんな実存的な問題があるだろう。

また、海外にいるためTVは見れなかったが、被害状況や当時の映像を感傷的なBGMで飾る番組に対する、識者の批判も目にした。

つまり、現在、「悲しみの共感」が拡大しにくい状況にある、ということだろう。支援のつながりを模索しようとするときにも、こうした実態を押さえていかなければ、有効な支援にはなりにくい。

「明るい支援」というと語弊があるが、「支援するー支援される」という構図とは違い、支援する側もそのことで前向きになれるような支援、または、そのための具体的な支援モデルも、これから模索していかなければならないのではないか。

それは、震災当初多くのボランティアが訪れたときに「自分探しのための支援」と一部批判されたような支援とは異なるように、僕には思えるのだ。
| comments(0) | trackbacks(0) | 06:40 | category: 投稿 |
# ■2015年度学祭!!
ご無沙汰しています。顧問吉武です。現在ハワイ大学にて1年間の在外研究のため、10月よりハワイ入りしています。

メンバーもどんどん卒業し、存続を諦めつつあったあくしゅでしたが、吉武さん・早崎さんという3年生ペアや新入生らががんばってくれて、今年は学祭で気仙沼でのボランティア活動の報告や展示、また、原発のことをなどもっと知ってもらうように放射能の可視化実験を行っています。

顧問としては海外で何も出来ないなか、使命を持ってここまでがんばってくれたこと、胸が熱くなりました。

学生さん、近隣の方々など、ぜひ少しでも足を運んであげてください。

以下、部長の吉武さんが彼女のFBに挙げていた文章を再録しておきます。よろしくお願いします!

ーーーー

こんにちは!被災者支援サークルあくしゅです。学祭はじまりました!!

あくしゅでは、今回『〜4年たった被災地の今〜』をテーマに、震災被害にあった気仙沼市にボランティアに行った際の活動や被災地の現状をレポートにして展示します

また、意外と知らない原発に関する知識や、実際に私たちの周りに存在する微量な放射能を見てみようということで、放射能の可視化実験を行います

子どもから大人の方まで参加できますのでぜひご参加ください。

【場所】共通講義棟210教室
【写真展示】10:00〜17:00 ※実験時間中は立ち入りできません。
【実験】午前の部→10:30〜
    午後の部→14:00〜
             (実験所要時間 約30分)

あくしゅ看板・ポスターできました!!

立て看板は先日の雨の影響でぐちゃぐちゃになってしまいましたが何とかメンバーで見えるくらいには修正できました(冷や汗)

見え辛いかとはございますが、もしちらっとでもご覧になられましたら、ぜひ足を運んでくださると大変嬉しいです。

少しでも被災地のことを知ってもらいたい一心で頑張ってまいりました。

ぜひよろしくお願いいたします!!




 
| comments(1) | trackbacks(0) | 17:37 | category: プロジェクト紹介 |
# ■仙台出張2日目:石巻を訪れる〜被災現場を歩く〜
出張二日目。時間が出来たので、仙台からさほど遠くない石巻まで足を延ばした。時間があれば、レンタカーで南三陸や気仙沼まで行きたい思いはあったが、滞在時間も限られており、バスで1時間ほどで行け、本数も多く出ている、石巻に行くことに決めた。

石巻の津波の映像はいくつか見たこともあったし、なんといっても多くの犠牲者を出した大川小学校の悲劇は語り継いでいかねばならない。今回の僕には石巻というところに縁があったんだろう。

バスは石巻駅に到着。初めて被災地と呼ばれるところに降り立った。僕の人生において意味ある一歩である。漫画家石ノ森章太郎のふるさとと言うことで、駅にはロボコンやサイボーグ009のキャラの絵などがあちらこちらに描かれている。僕ら世代にとってはたまらないお出迎えだ。

まずは被災地を一望しようと日和山公園へ。被災者の方々が命がけで登り、いくつかの津波の映像が撮影されたところでもある。印刷してきた地図を見ると、歩けない距離ではないが、その後に少し長い距離歩くために、まずはタクシーで向かった。運転手さんに聞いてみたら、今は原っぱのようになっているが、震災前は住宅地だったらしい。今はもうほとんどが家も解体され、後3軒ぐらい残るのみとなったそうだ。女川の方はまだ建物が倒れたままだったりするが、そちらにいくには未だ交通の便が悪いらしい。

以下の写真は2つの写真を横に繋げたものだが、運転手さんのいう「原っぱ」の意味がよくわかる。まるで僕のふるさとの原っぱを見ているような光景だ。これらの地にまさに家々が建てられ、人々の生活が営まれ、命が宿っていたのだ。

【眼下に広がる被災地】


川上の方に目を向けてみると、同じく地面がむき出しになっている様子がよくわかる。

【川側の風景】



公園のフェンスには、そこから見えたかつての風景がいくつか鮮やかなカラー写真が飾ってあった。そのボードが放つ発色と目の前に広がるくすんだ土の色とのギャップが、津波がいかにすさまじいものであったかを物語っている。

【上段:ボード(過去の写真);下段:写真(現在)】


【上段:ボード(過去の写真);下段:写真(現在)】


さて、ここからしばらく歩いて「原っぱ」の方に出てみることにした。ざっくりとした地図しかなく、しばしぐるぐると半ば迷ったように歩きさまよい、ようやく平たいところまで出てきた。目に飛び込んできた平地には、やはり明らかにこれは家ごとに区切られた私有地だったんだろう、という網目がはっきりと見て取れる。

【この区切りにはかつて家があった】


近づいてみると、必ずしもそれが単なる「原っぱ」でなく、まだまだ多くの物が残っている様子がよくわかる。これらもかつては日常に普通に存在したものや思い出だったものなのだろう。

【よく見ると未だに多くの物が散乱している】



ちょうど降り立ったところの先にあったのは、ネット等でもよくみる「がんばろう石巻」の看板がある献花台のところだった。そこには当時出火した火が灯り、花が贈られ、だだっ広い平原にたたずむ大きい文字がとても印象的だった。写真で見るよりも随分大きく、人々の負けないという強い思いが刻まれているのだろう。逆に僕自身が励まされてしまったような感覚だ。これは支援活動をしていくとにも何度か抱いたことがある感覚である。

充実ではない。しかし、こちらが何かを学ばせてもらったり、命の尊さを惜しい得てもらったりと、こちらの方が受領する側に立たされてしまうことがよくある。これがある意味での「負い目」となり、さらに続けなければ、と考えるきっかけになるぐらいだ。





献花台に向かいお祈りを捧げた後、僕は川の方へ向かうことにした。途中、よくネット等でも目にすることがあった門脇小学校を左手に見ながら(今はシートに覆われていた)、そのまま川沿いへと歩き始めた。そこでは、未だ津波の爪あとがくっきりと残った建物がいくつか出会うこととなった。

【傷跡を残す建物たち】





これらの家は上から下まで津波の痕跡で覆われている。つまり、まさに「あの」高さに水はあったのだ。被災者の方々はこの高さの水流に飲み込まれまいと、必死に高台へと向かったのだろう。想像することすら恐ろしいほどである。

大地震から3年半以上が経つ。あの直後に行ったときと今では伝わってくる被害も少しずつ薄まっているはずである。それでいて現在もところどころに残っている傷跡は、こちらが意図してみようとせずとも否応にも私の目に飛び込んでくる。

僕はこれらの風景や建物をカメラに収めることを少しためらった。動物園にいる珍しく、かわいらしい動物たちをパシャパシャと写真に撮るのとどこが違うのだろうか、と自問した。それは周りの目から見たら同じに見えるのかもしれない。しかし、僕自身があの場に立ち、歩く中で、向けたまなざしは決して「好奇」というものではなかった。

好奇はこちらから風景を着色する。一方、私が向けた視線はむしろ向こう側にある被写体に見事なまでに跳ね返され、圧倒的な威圧感でこちらに迫ってくる。ある意味(不謹慎にも聞こえてしまうが)、僕は写真を撮らされているような感覚を覚えた。シャッターを切らねばならない、と。

夜のフライトに間に合うよう、夕方には石巻を後にした。再び被災地に降り立つのはいつになるだろうか。ここ3年は青森、山形、そして仙台で開催された、所属学会の東北支部大会に参加している。来年の東北支部大会は岩手。そう、僕にとっては震災当初にネットで繋がった三浦さんがいらっしゃり、刺し子プロジェクトで携わっている大槌町がある岩手。まだいけるかどうかわからないのだが、僕と東北の距離は年々近まっている気がする。

しかし、一方で活動できていることは逆に年々減っている。今回また卒業生を出すあくしゅは、もはや存続は不可能か、とも半ば思っている。しかし、新しく入ってくれた2年生お二人が前向きに考えてくれていて、僕の方が勇気をもらった気がする。

やれることをやる、というペースではいけないのかもしれないが、支援を長い期間にわたって続けていこうと思ったら、やはりまずは一歩一歩こつこつと、といわざるを得ないのではないか。

かつて人類が始めて月面着陸に成功した。宇宙飛行士のニール・アームストロング船長は月面に降り立つ一歩をこう表現した。

"That's one small step for a man, a giant leap for mankind."
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩である。"

僕の被災地初日で最終日はあっという間に終わった。わずか一日、否、半日の間に僕が残した一歩は小さいものなのかもしれない。しかし、僕の人生にとってはそれは大きな一歩なのであり、その一歩はそのインパクトを残しつつ、僕の中でこれからも存在し続けるであろう。次に踏み出すのは、二歩目なのだから。
| comments(0) | trackbacks(0) | 00:21 | category: 投稿 |
# ■仙台出張初日
2014年11月8日、僕は初めて仙台の地に降り立った。

ここ3年続けて所属学会の仕事で東北支部大会に出張させてもらっており、東北との心理的距離もぐっと近くなった。九州にいると東北は遠く感じられる。被災者支援の活動をしても、地理的にも遠く、なかなか自分の目で見、足で歩くことが出来ず、それを少しだけ後ろめたく思っていた自分がいた。その意味では今年の仙台出張は一番近いところまで近づいたことになる。

ここ最近特に多忙を極め、3時間睡眠が続き、体力的にも限界だった。8日当日の仕事も前日にも限らず何も出来ていない。仕方がない、飛行機の中で準備をするか。そんなことを思いながら、前日の夜、会場までの経路確認や資料の印刷などを研究室でやっていた。最後に、今まで被災地の方々からお礼でいただいた手紙を読み返していた。その中に仙台市内からいただいたはがきが2枚あった。同一の方からのお手紙だ。

このご夫婦は震災当日奥さんがまだ妊婦さんだった。いただいた二通目のおはがきは、元気な赤ちゃんが生まれました、という報告だった。このご一家、まだこの住所にいらっしゃるのかなぁ、と思い、失礼ながら少し検索にかけさせてもらった。すると、生まれた女の子の名前でヒットし、なんと、ある広報誌の表紙に、大きくなり顔もしっかりしたその子の写真が載っているではないか。はがきの生まれたばかりの赤ちゃんが、こんなにもすくすく育っているとは、心が熱くなった。

住所も仙台の中心からさほど遠くない。前もって連絡する時間もないが、仕事のため会場入りする前の2時間ほどの空き時間を利用し、おはがき二通と簡単な手土産だけ持って、マンションを訪れてみることにした。

あまり細かい地図を印刷してこなかったので、当日は行き方がわかりにくく、迷いながらもなんとか現地に到着。マンションの郵便受けには名前がなく、まだ住んでいらっしゃるのかわからない。部屋の前のドアまで来た。子供のおもちゃもある。思い切ってピンポンを鳴らしてみた。

残念ながら僕が探していた方ではなかった。すでに引越しされていたらしい。残念ではあったが、また一歩前に進まれたんだろうな、とうれしくもあった。

せっかくなので広報誌の方にメールをしてみようかと思っている。元気に育っているお子さんを見てうれしくなった、ということだけ伝えたいと思っている。転送していただけるようであれば。

つらい経験はそう簡単には消えないだろう。しかし、それでも命は確実に巡っている。
| comments(0) | trackbacks(0) | 23:58 | category: 投稿 |
# 本日の会合:2014年9月5日@研究室
ご無沙汰しています。6月11日以来のミーティング。僕の方もすこし一息つける時期になりました。といっても、またすぐに後期が始まるんでしょうけどね。

今日は、院英2年生のお二人がこれからのことについて話に来てくれ、1時間弱話をしました。

今の人数とメンバーそれぞれの置かれている状況を考えると、なかなか大きなことをすることは難しいし、最初の年からプラス1年ほどで積み重ねてきたことも、一度ちゃらになったという気持ちで始めた方がいいと思います。また新たに創り上げていくイメージです。

ということで、今日お話したもので、いくつか僕が持っているアイデアを書いておきます。

■情報提供によるインフラ整備

まずは、これまでサブ的に話をしていた情報提供のことですが、あくしゅ再建という意味では、こちらの方をメインにする方がいいのかも、と思っています。現在、あくしゅの知名度はなく、あくしゅと学生の距離はとても離れています。ですから、まずはこれらの間を埋めるインフラを築くことが重要で、そのためにはまず情報提供のように目に見える形であくしゅの名前と存在を示すことが有効だと思います。

実際に現地に行ったことがある方々のお話によると、復興はまだまだ進んでおらず、その一方で、マスコミには取り上げられていなくなっている、という状況があります。こういう「実際はどうなっているのか」を可視化することは急務でしょう。

ならば、情報提供において僕らがすべきことは、まずメッセージとしてはシンプルで、「復興はまだ終わっていないんだよ」ということです。いろんなデータやお話や特集などをつうじて、まずはこのシンプルなメッセージを手を変え品を変えして伝えていく。これには大きな意味があると思っています。僕ら自身もあまり現場の情報を持たないので、この過程で僕ら自身も勉強になるはずです。

余談ですが、コミュ学的に言うと、人々の心に訴えかけるにはいろんな方法があります。客観的データもその一つですが、案外数字はへぇ〜で終わってしまうことが多々あります。特別なケースだったり、人数としてはお一人のことでもいいんですが、「お話」というのはすごくパワフルな説得です。話の内容や語り口によっては、ダイレクトに胸に訴えてきます。そういう胸に残り、キャンパスの人たちの記憶に刻まれるお話をいろいろと提供できるといいなぁ、と思います。

■学祭について

情報提供の手段についてですが、このあたりは皆さんのお知恵を借りたいところではあります。学食、掲示物はありでしょう。今回学祭はダメでしたが、許可がおりるようなら賛同してもらえるテントのレジあたりに、何かそういう情報のようなものを置いてもらう、というのもいいかもしれません。キャンパスのあちこちで、ちらほらとちょっと目にする、読む、ということが日常化していくことが、あくしゅと学生の距離を縮める策でしょう。

今回は国際共生のAll.kkさんが何をされるか、そしてお金をどうされるかはわかりませんが、去年の資料をお渡しする際、この2年は寄付していただいてましたが他に目的とかあればあくしゅのことは関係なく、使ってください、とお伝えしています。もしAll.kkのみなさんが他の慈善団体への寄付やあくしゅの主旨と重なるようなことに使われるようであれば、All.kkさんを部分的にお手伝いすることもありでしょう。バザーされるなら、モノ集めもありですね。

■大槌復興刺し子プロジェクト

教職員への注文取りまとめは、一定の額になるのでこれまで同様続けていくつもりです。一方、学生への協力はあまり期待できないかもしれません。注文、代金徴収、商品の受け渡しがうまくいくか、という問題もあります。

ただ、学生への場合は、利益を上げるというよりも、刺し子の商品を買ってみたり、一つ使ってみることによって、それが震災の「シンボル」として機能し、身近に感じてもらえるきっかけになれば、すごく大きい意義がある気がしています。

教職員の方々の中には、ときおりお土産などに使ってもらっていますが、同じように一つ買ってくれた人が「今度プレゼントに使おうかな」って思ってくれると嬉しいし、また、友達が「それ何?」「あ、これ?実は復興のさぁ・・・」って話になって、輪が広がってくれることも期待しています。

別に刺し子プロジェクトでなくてもいいんですが、今はこちらの主旨に賛同し、広めていますので、例えば刺し子プロジェクトをそういう形で、教職員には経済支援への賛同、学生さんにはもっと知ってもらうシンボルとして、これからもう少し工夫していければいいなぁと思います。

■募金

大々的な募金はエネルギーが必要です。心理的な壁も多少ありますし、何度もがんがんやるとお金を絞り出している感じもしますし、直接の募金活動は限定的なものになるのかもしれません。

それでも、例えば金文堂さんやリモーネのレジ等におかせてもらい(昔やってました)、時々集金に伺うことは可能です。先の情報提供で言ったように、情報をそこに添えておくのも手です。

また、例えば、10月3〜10日限定でこれこれのために募金します。ご協力よろしく、ということで、期間限定で特定の支援のための募金をそういう間接的な形、もしくは、一回は直接的にやってもいいし、そういう募金の仕方もあるかもしれません。

または、何か売ってお金になるようなものがあれば、そういうものを集めることも可能ですね。

支援にはお金があるといいですが、あまり負担にならない形でできれば幸いです。

■お礼を渡す

募金にも関係しますが、募金って一方的な贈与だと壁がありますが、ほんとうに価値があるわけでないってものでもいいので、お礼にシールや飴玉やカードや、そういうものを配るだけで気持ち的に違うと思います。

そこで卒業生の宮脇さんや小笠原さんなどに何か提供してもらえるとうれしいのですが、そういうものにメッセージを書き込んでちょっと添えると、一方的な贈与は交換になるんです。人間は交換が好きな生き物(交換それはコミュニケーション)ですので、何かかわいい物や面白い物をもらえるとインパクトが違います。ちなみに、ラミネート加工なら研究室でできます(シートは研究費が使えないので資金で買いますが)。

■お手紙

これは前回のミーティングでも出てきましたが、情報提供のために現状を把握するという意味でも、お礼のはがきやお手紙をもらったところに、一度お手紙を送ってみるということはいいかもしれません。そこでできれば少しいろんなお話を聞ければいいな、と思います。そうすることで、僕らの中でも何かインスピレーションが起こるかもしれないし、また、情報提供の「お話」集めにもなります。なかなか簡単に行けない分、そういう「生の声」をお手紙で聴けるといいですね。

■さいごに

最初に書いたように、とにかく小さく、まだお互いのことも詳しくしらず、これから再建していくサークルですので、まずはやれることをやっていきましょう。

不謹慎に思われるかもしれませんが、個人的には、サークルなのでやっていてちょっと楽しいとか、わくわくするとか、そういう遊び心があっていいと思っています。例えば、先に書いた、交換のために渡すものでも、どんなものを渡すか思いめぐらせたり、実際にそれを作ってみる作業って僕自身は結構楽しいです。情報提供のための新聞やチラシやカード作りも、僕だったらわくわくするなあ。

このグループは卒業生の名前も残しています。ですので、卒業生の方々も、見ていて何かできそう、とか、こうしたらどう?とかあれば、いつでも遠慮なく書き込んでください。

実習生が帰ってきたら、いちどみんなで飲みにでも行きましょう。もちろん卒業生の方々も機会があれば!
| comments(0) | trackbacks(0) | 22:36 | category: 会議あとがき等 |
# 本日の会合:2014年6月11日
今日は今年度初めての会合でした。新しい方で構成されているため、最初は緊張した面持ちでしたが、偶然の出会いなどもあり、少しなごんでくれたかなと思います。よかったよかった。

内容としては、だいぶ優先してすることと、延長としてやれることの輪郭が浮かび上がってきたように思いますので、ここでも共有しておきます。

■中心的活動

(1)現状の情報収集と共有


まずは、自分たち自身が現状を知るため、情報収集をする必要があります。常にアンテナを張っておくということは、僕らあくしゅメンバーがすべき第一のことです。自分たち自身はFBや会合で常に情報共有し、外にはツイッターやブログ等のメディア、さらには、必要であればキャンパス内でフリーペーパーなり、貼り紙なりで発信する工夫を考えていきましょう。

(2)ニーズの把握

現地のすべての現状を把握することは不可能だとしても、実際に支援できそうな場所のニーズをつかむことは必要です。支援先として考えられる団体やサイトを把握し、それらの現状やニーズを追っていきながら、学内での支援活動を決めていきましょう。

(3)現地とのつながり

なかなか九州から行くことが簡単でない分、直接的なやり取りは難しいかもしれません。しかし、お手紙等での交流は可能ですし、実際の活動としても「手ごたえ」が感じられる部分でもあります。生半可な気持ちではできませんが、人とのつながりは大事にしたいものです。だって「あくしゅ」ですから。

なお、「あくしゅ」自体は東日本大震災の被災者の方々の支援を目的として立ち上げましたが、名称に「東北」など地域名を入れなかったのは、被災はどこにでも発生しうるという含みを込めてのことです。それは八女であったり、フィリピンであったり。支援先については、東北の被災者は忘れることなく、しかし、視野は広く持っておく必要はあると思います。

■延長としての活動

以上を踏まえたうえになりますが、実際に被災地に赴くことについては常に意識しておければと思います。

今日の話で、いくつか具体的な団体や方法について挙がりました。実際にはお金や時間の関係上、全員が行けるとは限りませんが、個人としては赴いてほしいし、そのなかで声掛けしながら「行ってみようかな」と思ってくれる人が増えてくれるといいなと思います。

■学祭について

最後話をしましたが、今年の学祭、何かやりましょう。はじめてということもありますし、今年は「教員枠」で申請したいと思います。それによって限られた人たちに負担をかけることを避けたいと思います。別枠参加ですので、宣伝的には効率は悪いかもしれませんが、やれるところでがんばっていきましょう。

■運営について

僕個人としてはあまり皆さんに無理しないで取り組んでほしいと思ってます。使命感をベースとしたサークルですので、あまり気軽にどんどん手を広げてやれる、というわけでもありません。

大切かつ難しいことは「続けていくこと」です。一人ががんばって切り開いていっても、その後につなぐ人がいなければ、すべての支援が一過性のものになり、今日の話であったような「また来るね」と言って来てくれないときのさみしさのようなものをこちら側から作ってしまうことも考えられます。

やるからにはあまり「使命感」が重荷にならず、それなりに「やりがい」や「楽しさ」がなければならない、と思います。ですので、重要な活動をしつつも、やっていてうれしい、楽しい、もっとやってみよう、という気持ちがつながっていくことを基盤に持っておくことは不可欠です。不謹慎に聞こえたらそれは本意ではないのですが、サークルとして長く続けていくには、そういう実存に訴えかけることなしには、難しいと思います。そのなかで高い意識を持った後輩のみなさんが、バトンを繋いでいってくれることを願っています。

■さいごに

限られた人生のなかで、そして期間限定の学生生活のなかで、こうして出会えたこと、とてもうれしく思います。みんないろんな考えを持ち、個性を持ち、そういう人たちが集まって考え、ともに行動していく。これは社会を作り上げ、未来を紡ぐ原動力です。大きなことはいいませんが、学生のみなさん一人一人があくしゅを通してこれからもともに成長し続けてくれることを願っています。

こんな被災者支援サークルあくしゅですが、福教大生のみなさんで少しでも興味ある方がいらしたら、ぜひ声をかけてください。できる範囲で結構ですので、ともに誰かのために生きましょう。
| comments(0) | trackbacks(0) | 14:17 | category: 会議あとがき等 |
# 「あくしゅ」第二幕の予感
長らく更新できずにいました。というのも、この2年ほどはほとんど動けず、何も更新することがなかったということがあります。歯がゆくもあり、情けなくもあります。その間、当事のメンバーは院に進んだ一人を除いて皆卒業してしまいました。もうサークルという形で維持するのは難しいか、とも思いました。

それでも後1年は残してみよう、と思い、メンバーをなんとか6名ほど集め、サークルという形を維持しています。

そんななか、あらたに2名の方が「あくしゅ」に興味があるということで、きてくれました。どちらの方も2年生で、初期メンバーの井上さんのご紹介です。ありがたいし、何よりもお2人の思いややる気に心強く感じました。

来週あたり、集まれる人で集まって、これから復活に向けて、どんな動きが出来るか、ざっくばらんに話をしてみたいと思っています。本学の学生さんで、「何か支援活動をしたいけど、何をどうすればいいのかわからない」という方々、ぜひとも何ができるか一緒に考えましょう。

来週あたりできれば集合かけますので、よろしければご参加ください。

さぁ、どうなっていくか。第二幕を予感しないではいられません。
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# 2013年を終えようとしている今、あらためて・・・・
こんばんは。FBのあくしゅメンバーのページに書いたつぶやきをここに記します。

−−−−−−−−−−−

今年は何も動けないまま、一年が終わろうとしています。僕もばたばただし、メンバーも卒論や学業で忙しかった1年だったと思います。

ただ心のどこかで、「このままでいいんだろうか」という思いにいつも葛藤しています。余裕がない中で、今はキャンベラ英語研修の企画をすることにしたので、そちらの方に「えいや!」と飛び込んでしまい、また支援活動がずれこんでしまいそう。ジレンマです。

一応来年度も「あくしゅ」は存続していこうとは思っていますが、また人数は少なくなり、状況は必ずしもいい状況にある、とは言い難い。

「ボランティア」というのはその本義上「無償」であるものなので、自分がすべきことがまずあって、それにプラスαして何かする、というのが日常なあり方でしょう。ということは一般的には、それだけの心、時間、金銭的余裕がなければできない、ということです。

一方で、それは主観的であり、相対的でもあります。つまり、時間がないと思っていても、覚悟を決めれば時間が作れるということがありますし、余裕がないと言っても被災地の余裕のなさを思うと自分の余裕のなさが小さく感じられる、ということも起こりえます。

だからこそ、どうしても自分にいいわけをしているようで、ジレンマを抱えてしまいます。悩んでいる時間はないはずなのに、悩む時間もない。といういいわけをしているようで・・・・∞。

少し大雑把だけど、大きなことを語りたいと思います。

僕が描いているのは、まず、「あくしゅ」の活動が力んでやるようなものではなく、もう少し肩の力を抜いて楽しくやれるようなものとなって、みんなが取り組んでいる、というものです。メンバーが自主的に何か好きなことを企画したり、これもできるんじゃない?って刺激し合ったり、これみんなに知らせたいよねって思うことを自由に発信したり、そんなイメージです。不謹慎と言われるかもしれませんが、そういう遊び心のようなものがあってこそ、長く続くための創造性も生まれるんじゃないかな、って思っています。

ただし、それが可能になるためには、先に述べたような、例えそれが主観的・相対的なものであっても、心・時間・金銭的余裕が必要です。そこが難しいところ。大学自体が学生を忙しくさせているし、学生自身も他のサークルやバイトなど結構忙しくしていたりする。だから、本当に主体的にやろうと関われる環境にあるか、それだけの気概を持っている人が集まらないと実現しない夢なのかもしれません。

もう一つ、あくしゅの活動が他の学生に知らず知らずのうちに感染し、ボランティアに協力することが当たり前の風景となり、当たり前の行為と受け止められるような雰囲気です。例えば、あくしゅでいくつかの企画を立てたとしましょう。それを学生の中で、俺今回は東北支援に協力するね、次はカンボジアの教育の方に募金するわ、といった具合に、あたかもいくつもある募金箱から自分がサポートしたいところを選んで募金するような感じで、協力へのハードルが低くなり、でもそれなりにポリシー持って進んで協力しようとする姿勢、そんなものが「あくしゅ」が日常にあることから派生していけば、と思っています。

これらは僕が皆さん方(学生)に(2011年)4月29日だったか、最初の説明会をほぼ思いつきで呼び掛けたときから変わっていません。ただ、震災から数年がたち、それが実現する機運が日本でも学内でも下がっているということだと思います(もちろんそれは気温のような自然現象ではなく、自分も含めた人間が作り上げている我々の問題なわけですが)。

だからといって、(在籍メンバーに)どうしてくださいとか、お願いするようなことをいいたいわけではありません。これは僕自身への言葉として書いているのだと思います。初心に戻ろうとしている自分やいいわけをしている自分に対し。

そこからまた皆さんのなかから、学内で、またはそれぞれの環境の中で、今一度今できることの意味を問い直すきっかけになってくれたら、それは嬉しく感じます。

今年ももう後数日です。みなさん、よいお年をお迎えください。そして、また2014年に新たな気持ちで被災者の方々に寄り添えるような活動をしていきましょう。
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